コロンビアで伝説の殺し屋「ポパイ」が釈放され、話題になっている。

殺し屋「ポパイ」とは、80年代に頂点を極めたコロンビアの麻薬組織「メデジン・カルテル」の幹部だったジョン・H・B・バスケス(52歳)の愛称で、89年にルイス・カルロス・ガラン大統領候補を射殺したとして有罪となり、禁錮30年の刑に服していた。

92年の自首時は違法行為を全面否定していたが、その後の服役中のインタビューでは、一転してなんと300人の殺害と民間人を含む3000人の殺害への関与を明言。その他にも、アンドレス・パストラナ前大統領の拉致誘拐や、民間機爆破テロなど数々の犯罪を告白。その中には自分の妻の殺害も含まれており、コロンビアでは「悲劇の殺し屋」という別称で呼ばれているという。

その「ポパイ」のボスであったカルテルの首領パブロ・エスコバルもかなりの大物だ。「メデジン・カルテル」を創設し、欧米へのコカイン密輸で世界有数の富豪にまで上り詰めたパブロ・エスコバル。93年にコロンビアの特捜チームの一斉射撃で死亡したとされているのだが、史上最も凶悪非情な野心に満ちた麻薬王の一人であるのは間違いない。

さて、殺し屋「ポパイ」ジョンの話に戻ろう。先日、30年の刑期より短い22年間の服役生活を終えて出獄を果たした「ポパイ」。刑期が短くなったのには、実はある理由がある。

「ポパイ」は当局との司法取引をしたのだ。仲間からは裏切りとも取れるこの司法取引。「ポパイ」は、90年の大統領選で、対抗候補の暗殺を依頼した人物の裁判で、検察側の証人として証言する代わりに、刑を軽減されたというわけだ。

コロンビアでは、マフィアの組織犯罪を捜査する際は、検察に有利な証言した構成員の罪を軽減する代わりに、得た情報を使って組織全体の犯罪を暴く場合がある。「ポパイ」が刑期の4分の3で出所できたのもこのためで、釈放に関しては、他の受刑者と同様に関連した法律にのっとった措置と説明されている。しかしながら、被害者の遺族には、反発している人も非常に多くいるのも事実だ。

「ポパイ」は釈放後、多数の敵に命を狙われており「殺される可能性は80%」と自ら発言しているという。彼にとっては、刑期満了=死刑宣告なのかもしれない。そう考えると、刑期の軽減は彼にとって不幸以外のなにものでもないということになる。

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