『化石』というと、まず、恐竜やマンモスなどの太古の大きな生物のそれを思い浮かべるだろう。しかし、当然のことながら、その時代に生きていた昆虫や植物も化石になる。つまり、化石は太古の生物たちの生きていた証であり、太古からのメッセージと言えるのだが……生物だけじゃなく、最近は糞、平たく言えばウ○コの化石も話題になっているのだ。
その糞化石は宮城県南三陸町にある前期三畳紀の海の地層「大沢層」より発見された脊椎動物のもの。計60点以上が発見されたが、たかが糞とアナどる……いや、侮るなかれ。この糞化石には、これまでの歴史の定説を覆すような大発見も含まれているのだ。

と、いうのも、糞化石に含まれていた脊椎動物の骨から古生代末の大量絶滅の直後、海の生態系が復活した証拠につながるのではないかと見られている。そのポイントになるのは、『P-T境界』。これは地質年代区分の用語で約2億5,100万年前の古生代最後のペルム紀(Permian)と中生代最初の三畳紀(Triassic)の境目の時代を指し、両紀の頭文字を取って命名された。

このペルム紀と三畳紀の間に何があったのかといえば、生物の大量絶滅だという。ペルム紀の海の生物たちの約95%が絶滅に追い込まれたといわれ、その中には巨大な両生類や爬虫類……いわば恐竜の祖先もいたそうだ。それが地球史上最も大きいと伝えられている火山活動によって当時の生態系が絶滅に追いやられたという。

そして、この生態系が回復する三畳紀までに500万年以上を要したと考えられてきた。
しかし、糞化石の内容物は、生態系がもっと早い時期に回復していたことを証明したのだ。大量絶滅の直後にあたる前期三畳紀(約2億4700万年前)の海の動物については化石が発見されることもまれだったが、この糞化石によって生物多様性を低く見積もり過ぎていた可能性が指摘されている。糞化石は大小さまざまな大きさの遊泳性の脊椎動物に由来するものが含まれていて、一部には硬骨魚類などの小さな脊椎動物に由来する骨も包有されていた。このことから「大沢層の堆積した前期三畳紀の海には、無脊椎動物と大型の脊椎動物のほかに小型の脊椎動物が共存し、脊椎動物の一部は他の脊椎動物を捕食していた」と結論が出された。三畳紀の海にはさまざまな生物が泳ぎ回っていたことがわかったのだ。

太古のイメージを大きく塗り替えてしまったこの化石、糞とはいえ、ロマンの詰まった化石である。

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