反生逮捕されること7回、背負った借金50億円。そんな波乱万丈な人生を送るAV界の帝王・村西とおる監督のドキュメンタリー映画『ナイスですね 村西とおる』が11月29日、東京・中野区で行われた「新人監督映画祭」で初披露された。
同映画祭において、作品は審査員特別賞、村西監督は主演男優賞を受賞。村西監督に15年もの長きにわたって密着したという同作品を公開に先駆けて(来年夏公開予定)鑑賞した本誌は、村西監督を直撃。その半生を振り返ってもらった。
「今回の映像に、私の格好いい姿など一切映っておりません。私自身、女性のお尻の穴を撮ってきたわけですから、自分自身が被写体になっても、お尻の穴を見せる覚悟で生き恥をさらしております」

村西監督は駅弁、顔射などの新たなAV演出を生み出し、瞬く間に人気監督になると、88年にはAVメーカー「ダイヤモンド映像」を設立。松坂季実子など大スターを発掘し、年商100億円を稼ぎ出した。
「横浜ベイブリッジを、駅弁ファックしながら横断したり、女性のアエギ声の代わりに、ホラ貝を持たせて吹かせたり。人類が相まみえたことのない映像をお届けするという使命を胸に、撮ってきました」(前同)
ベイブリッジでの撮影では、神奈川県警に摘発されたが、そうした話題性も相まって、一躍、時代の寵児となっていく。

だが、通信衛星放送事業への過剰な投資などで、急速に資金繰りが悪化。92年には、50億円の負債を抱えて倒産してしまう。
「まさに、その日暮らしですよ。湘南のビーチに出かけては、有名人をプリントしたタオルを売ったり、新宿でそば屋を出して、12時間も路上で看板を持ちました。でも、どの店も2週間で潰れましたね。ヒモなしのバンジージャンプのような人生ですよ(笑)」(同)
ビーチでは、1000円のタオルが1日に4枚売れるだけ。年商100億からの見事なまでの転落だった。
「映像作品というのは、人に勇気や元気を与えるものと手前は思うのです。作り手が格好つけるためのものではないと。今回の作品には、手前のみっともない姿も包み隠さず、記録されております。これを見てくださった方が、"村西よりはマシだな"と感じ、明日から頑張ろうと思ってもらえたら、幸いです」(同)

現在、村西監督はオリジナルグッズの販売を手掛ける傍ら、AV監督として復帰。新たな性表現を追求すべく、邁進(まいしん)している。
まずは、AV界の帝王のジェットコースター人生を映画館で、ご確認あれ!

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