1isii1
パンチ佐藤の「野球が一番!」
第1回 野球の力は凄い!みんなを元気にするんです


2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任したパンチ佐藤。かつての日本代表~オリックスのドラ1も、今では芸能人としての色が濃い。
そんなパンチが野球界に“復帰”して改めて思ったことは「野球が一番」ということだ。プロ野球が地域の意識を変えるカンフル剤になっている現実を、パンチ流に解説する!


今から約25年前にプロ野球のキャンプが沖縄でスタートしました。その当時の沖縄は、悪いんですけれど、食事も僕らには合わないし、お店の対応も……何か、野球選手が来たらビックリしちゃうという感じでしたね。

キャンプの「半分が高知で半分が沖縄」という形でしたが、「高知でいいのに…」という声が選手間から実際に聞こえていた頃です。

ところが、我々が沖縄に行ったことによって、沖縄の機運が変わった。かつてはテレビでしか見られない「夢のようなプロ野球」がキャンプを実施することで身近になったんです。

眼前に憧れの選手がいる……子供も大人も選手にサインをもらい、握手までしてもらえる。「夢」を持つことができたんですね。今までは四次元だった話が三次元に降りてきた。すると、無理だと思っていた夢が現実的になり、 「僕もプロ野球選手になりたい」と思えるようになった。

 約25年前、夢を本気で叶えたいと考え始めた小学生が成長して高校生になった15年前から沖縄の高校野球が劇的に変化しました。そう、強豪校の仲間入りしたんですね。事実、今の沖縄は全国屈指に実力校が揃ってますよね。これが「野球の力」だと思うんですよ。

同じようなことが言えるのは、北海道。かつて北海道といったら、ジャイアンツ(巨人)でした。しかし、北海道に日本ハムが移転。北海道の人たちは心が大きく、「せっかく札幌に来てくれたんだから、この球団を応援しよう」となった。

僕は正直、日本ハムが定着するには、最低でも5〜6年はかかると思っていました。が、何と1年、1年で定着したのはご存じの通りです。

日ハムの選手も一生懸命に地域密着にこだわりました。道内の小中学校に出向き、生徒と一緒に給食を食べたり、野球教室を積極的に行うなど、「今できること」を精一杯しました。
その結果、道民のハートを掴んだんです。

僕がビックリしたのは千歳空港から札幌市内に向かう時の出来事。(日ハムの)試合が終わったんでしょうね、札幌ドームから人がゾロゾロ出てきたんです。それも、みんながみんなニコニコして。

僕はその時、タクシーに乗っていて、運転手さんに「勝ったんですかねえ?」と尋ねたんです。すると、運転手さんは「いや、負けましたよ」と切り返す。負けたのに満足して帰路に就く。素晴らしい球団だと思いました。

北海道に根付いた日ハムに感心していたら、今度は駒大苫小牧高が甲子園で優勝でしょ。こういうところが野球の力だと思います。

同じことがいえるのは楽天です。大谷翔平君の花巻東高校……紫のユニフォームは強烈に印象に残っていますよね。楽天が東北を盛り上げたら、岩手の花巻東が強豪校になった。これが野球の力です。

こう考えると、野球というのは凄い力を持っている。みんなを元気にする力を持っているんです!

野球が一番!

パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

本日の新着記事を読む