忘れられない男がいる。
その男は相手の技をすべて受けきって、たった一発のエルボーで俺たちを熱狂させた。
その姿に俺たちは「男の生き様」を感じ取り、自分もあんな男になりたいと願った……。
双葉社スーパームック「俺たちのプロレスvol.2」では、三沢光晴というひとりのレスラーを特集した。三沢光晴がどんな男だったかを日刊大衆ではシリーズ記事で紹介したい。


三沢はまさしく「馬場哲学」の体現者だった

三沢光晴は「生」を強烈に意識させるプロレスラーだった。
オレは生きている。
そのメッセージは、日々の試合においても三沢の肉体から絶え間なく発散、放出されていた。
もう立てないだろう。3カウントを聞いてしまえば楽になれる。そんな状況でも悪魔のささやきには一切耳を貸さず、三沢はカウント3寸前で肩を上げ、そして立ち上がる。
すべては内なる自分との闘い。己に妥協したくないから、立ち上がる。
試合に敗れることがひとつの「死であるとするなら、三沢は何度も何度も、死の淵から生還してきた。

19歳でのデビュー戦から46歳での最終試合まで、国内通算3497試合。1試合平均5回の生還だったとしても1万7485回。平均10回なら3万4970回。
とくに90年5月、虎の仮面を脱ぎ捨てた第4の誕生日以降に見せた1回1回の生還は、内なる自分との闘いでありながら、見る者の胸にも熱く響いた。
どうしてアナタはそこまで頑張れるのか。
体格差のあるジャンボ鶴田のバックドロップにも屈することなく。スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットにもひるむことなく。
エルボー、エルボー、もうひとつエルボー。敢然と立ち向かう姿が全日本マットに新たな風を運ぶ。

超世代軍のリーダー的存在から、真のトップレスラーへ。三沢の内なる闘いに共鳴した同世代の男たちの名前も無視することはできない。
川田利明。田上明。そして、小橋健太。彼らが織り成す攻防は、いつしか「四天王プロレス」と呼ばれるようになった。
高度な受け身の技術に裏打ちされた、カウント2・9でのしのぎ合い。ジャイアント馬場は『週刊プロレス』97年3月25日号のインタビューで次のような哲学を語っている。

「いつも言ってるように、全日本の選手はやられることから覚えます。教わります。俺が今まで見た中では、ほかの(団体の)人たちは、自分がやることだけ練習している。だから、やられたときにどうするか。そこがうまくない。やることは自分勝手に何でもやるけど、やられることについては何もわかってない。受け身の取り方から何から、そこが違うということ。どっちがいいかは、俺にはわからんけどな」

三沢はまさしく「馬場哲学」の体現者だった。
1万回、2万回、3万回。もしかしたら4万回。相手の攻撃を真正面から受け止め、そのうえで不死鳥のごとく立ち上がってきた三沢が、力尽きて永遠の眠りについたのは2009年6月13日のことだった。


文◎市瀬英俊

『俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)』より一部抜粋、全編は本誌にてお楽しみください。

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