2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑たちがいる! 今回は、楢崎龍の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


長州藩士の流れを汲む医師の娘として京都に生まれた楢崎龍(ならざき りょう 1841~1906年)。裕福な家庭で、生け花、香道、茶道などを習って育つ。

しかし、父が安政の大獄(1858年)で牢に入れられ、その後、赦免になったものの、牢で受けた拷問のため、1962年に死亡。一家はたちまち困窮した。

母は方広寺大仏殿(東山区)の近くの、土佐尊王攘夷派が集まる隠れ家で炊事の仕事、21歳の龍も七条の旅館で働いた。

その母の縁で、坂本龍馬と龍は知り合う。龍馬に名前を聞かれた龍が自分の名前を告げると、「わしと同じ名だな」と龍馬は微笑んだという。

龍馬は、龍を伏見の寺田屋の女将・登勢に預けた。ある晩、夜中の3時頃、龍が風呂に入っていると、外で物音。刺客が龍馬を殺しに来た、とピンときた龍は、裸のまま2階に駆け上がり、寝ていた龍馬を起こした。龍の機転のおかげで、龍馬は傷を負いつつも逃げのびた。

その後、龍馬と龍は結婚、西郷隆盛の勧めで鹿児島まで船旅をし、温泉につかったりして50日間ほど過ごした。

1867年、京都河原町の近江屋で龍馬が暗殺されると、龍は一時的に高知の龍馬の実家に身を寄せる。

その後、東京に出て、明治8年に横浜で商人と再婚。晩年は酒浸りとなり、酔うと「わたしゃ、龍馬の妻だ」と呂律の回らない口調で言っていたという。強烈な個性を持った龍馬という男に惚れたため、一生忘れられなかったのだろう。これも女の業か。 

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