2代目タイガーマスク、全日本プロレス社長、プロレス四天王としての活躍、そしてプロレスリング・ノア旗揚げ。「天才」という名を欲しいままにしつつ、2009年6月13日におきた「リング上での死」という形で、ファンに衝撃を与えたままこの世を去った三沢光晴。 先日発売された「俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)」では、彼と関係のあった10人のレスラーの証言を集め、プロレスラーとして、また男として、三沢がどんな人間だったのかに迫った。今回は、特別にその中から一部を抜粋して紹介したい。

「三沢さん、首が悪かったじゃないですか。それでも絶対に文句も弱音も吐かない人が……亡くなる数カ月前ですかね、僕は“キツイな”っていう言葉を聞いたんです」

──98年夏から秋山さんは三沢さんから離れて小橋(健太)さんとバーニングを結成しましたが、三沢離れを決意したのは?

秋山 三沢さんと組んでましたけど、練習も何もかも小橋さんが一番近いというのもありましたし、小橋さんからは「もう俺たちがやっていかなきゃいけない」っていう言葉もずっと聞いてました。その小橋さんが川田さんから三冠を獲って新時代宣言した時(98年6月12日、日本武道館)に「タイミングはここだろう」と思って行動を起こしましたけど、それに対して三沢さんからは規制がかかったりとかは何もなかったですね。

──その頃、三沢さんは現場の権限を掌握して全選手に「やりたいことはちゃんと意思表示して、自分の責任において行動するように」という意識改革を促しましたよね。そして00年夏には“自由と信念”を旗印にノアが誕生するわけですが。

秋山 自分のケツは自分で拭けということですよね。ノアに関しては行って当然というか、行かないと自分の闘うべき、組むべき人がいない状況でしたからね。行くしかなかったですね。全日本と分かれる時は“三沢さんが作る会社”っていう意識だったかもしれないですけど、いざ独立してからは、ノアって言っても誰も知らないわけだから「とにかく名前を覚えてもらわなきゃいけない」っていうところから、自分でいろいろやっていかなきゃいけないと思いました。ノアの合言葉が“自由と信念”だったじゃないですか。難しいんですよ、これが。下手したらグチャグチャになっちゃいますよね。僕はある程度の規律があったほうがいいと思ってるんですよね。自由って、変な奴が生まれる可能性も十分あるんで、ホントに難しいですよ。それこそ適当にやっても自由は自由、自分のやりたいことをドンドンやっていくのも自由だし。

──その中で秋山さんは全日本に復帰した天龍源一郎との闘いや新日本プロレス参戦をアピールするなど、それこそ自由にノアというものを発信していましたね。

秋山 それでも三沢さんから一切、文句言われたことなかったです。今になれば「何言ってんだ、こいつ!? 」って思いますけど(苦笑)、でも今の僕もあんなアホが欲しいと思いますよ。基本、ノアを世間に知ってもらうためにいろいろ考えてやってたことなんで、僕が勝手に言ってることも、三沢さんはなるべく叶えてくれていたと思います。

──会社の中では摩擦はなかったんですか? 一時期、「秋山はフリーになるしかない!」というムードもあったような気がしますが……。

秋山 摩擦はあったと思いますよ。あんまり会社に行かなかったからよくわからないですけど(苦笑)。でも三沢さんが抑えてくれていたんじゃないですか? 自主性を重んじてくれるというか。だから僕はタッグを組んでいた頃の自由は非常にやりづらいというか、迷ったこともありましたけど、ノアになってからの自由は僕にとって非常にやりやすかったですね。僕が自由だったということは、僕の自由を三沢さんがかなり守ってくれていたからだと思います。それは本当に感謝してますね。それこそ「秋山をフリーにしたほうがいいんじゃないか」っていう話も内部であったみたいですけど、僕は直接聞いてないですからね(苦笑)。今、僕がこうやっているのも、そこで三沢さんがグッと我慢して僕を自由にさせてくれたからだとも思いますね。

──リング上では01年7月27日の日本武道館で三沢さんからGHCヘビー級王座を奪取しましたが、純粋にプロレスラーとしての三沢光晴をどう感じていましたか?

秋山 よく三沢さんのことを「閃きの天才」って言いますけど、僕は閃きとかじゃなくて、今まで積み上げてきたものをそこで出している、基本に忠実な綺麗なプロレスをする人だと思ってます。みんなが驚くような技でも、三沢さんとしては閃きではなく、しっかり考えて練りに練って出していたと思うんですよ。


 ノアの旗揚げから9年……09年6月13日、広島グリーンアリーナで悲劇は起こった。同日のメインで潮﨑豪と組み、齋藤彰俊&バイソン・スミスのGHCタッグ王座に挑戦した三沢は、齋藤のバックドロップを食って昏倒。同夜22時10分、広島大学病院で頸髄離断によって46歳の若さで急逝した。その時、秋山は……。
(註:ここのみ斜体に、文字細さ大きさはママでOKです)


秋山 広島の前々日に大阪で試合したんですけど、腰椎椎間板ヘルニアで動けなくなって、次の日の早朝にブロック注射を打ってもらうために東京に戻って、広島の日は東京から直接行ったんです。それでも全然ブロック注射も効かなくて、まったく動けなかったですね。で、試合後に治療を受けながらモニターを観ていて、何か起こったのは寝ててもわかったんで、リングに行こうと思ったんですけど、花道の途中で倒れてうずくまってました。僕も三沢さんと同じ病院に直行でした……。三沢さん、首が悪かったじゃないですか。それでも絶対に文句も弱音も吐かない人が……亡くなる数カ月前ですかね、僕は「キツイな」っていう言葉を聞いたんです。その時。首が悪くて手が後ろに回らない状態だったんで「大丈夫ですか?」って聞いたら「いやあ、キツイな」って。その時、20年近く一緒にいて、初めてキツイという言葉を聞きました。あそこが限界だったのかもしれないです。限界だったのを振り切って、そこから何カ月間か試合をしていたと思います。

──翌日の6月14日、博多スターレーンでGHC王者だった秋山さんは力皇猛の挑戦を受けるはずでしたけど、動くことができずに潮﨑豪に権利を譲って潮﨑VS力皇の王座決定戦になりましたが、実は三沢さんに潮﨑の育成法について相談されていたんですよね?

秋山 三沢さんに「潮﨑は誰と組ませたらいいと思う?」って聞かれたから僕は「三沢さん」と答えたんですけど、それも今考えれば、三沢さんに無理させてしまったかなと。僕が経験したことを潮﨑にも経験してほしかったんですよ。小橋さんもそうだし、僕もそうですけど、三沢さんと組ませてもらって、その背中を見て「トップの選手とはこういうものなんだ」と肌で感じてきたんで、それを潮﨑にもと思ったんですけどね。それによって三沢さんは「潮﨑のためにもう1回頑張らないと」って無理をしたのかなとも思います。

──秋山さんが三沢さんから学んだトップの覚悟、帝王学とは?

秋山 いや、今の若いコたちには通用しないかもしれないですね。痛いと言うこともなく、トップの人間はリングに立ち続けなきゃいけないというのは、今はもう無理かもしれないですね。

──三沢さんは口で言わずに黙って行動で見せる人でしたよね。

秋山 口で言うなら、そんなに僕らもプレッシャーがかからないで、ちょっと怪我しても「今日はちょっと無理だ」となるかもしれないけど、三沢さんは口に出さないんで、それがもう当たり前というか。逆に「お前ら、こうなんだよ!」って凄く力強く言われている感じなんです、口に出さないほうが。だから少々、怪我しても休むなんてことは一切思わなかったですね。靭帯がブチ切れて立てなくなったならアレですけど、ヒビが入ったとか、脱臼したとか、そんなことぐらいだと……それこそ3日連続で脳震盪起こしてもリングに上がってましたからね。いや、今だったらダメなことなんです。ダメなことなんですけど、それがトップの選手だと僕は思ってるんで。それは小橋さんも潮﨑も同じだと思います。三沢さんは強いです。メチャクチャ強いですよ。ホントにトップの責任感は凄いですよ。

──今、秋山さんも三沢さんと同じ社長兼レスラーになりましたね。

秋山 この立場になってみて、わかることがいっぱいありますよ。そこには見習うこともたくさんありますけど、「三沢さんはああだったから、俺はああじゃないようにしないといけない」と思うこともあります。僕はあんまり自由にさせないですよ、自由のしんどさがわかるから。本当にちゃんと自由にできる人ってほとんどいないですよ。それだったら、特に若い奴はある程度のレールの上を走らせてやった方がやりやすいと思うんです。道を作ってやっても人の性格はそれぞれ違うんで、そのうち個性が出てくると思うんですよ。そこまでは、ある程度ナビゲートしてやって、そこからは自分の色でやっていけばいいことで。

──今の秋山さんは三沢さんが07年に第11代GHC王者として頑張っていた時と同じ年齢ですね。

秋山 7月にスタートしたばかりだから今は社長業のほうがどうしてもウェートを占めてますけど、同じ45歳の頃の三沢さんより僕のほうが元気かなと思うんで、もう1回三冠を獲って、今の新しいベルトから昔の3本のベルトに戻したいですね!


秋山 準(JUN AKIYAMA)
1992年全日本プロレスに入団。早くから将来を嘱望され、四天王に並ぶ「5強」と称された。2007年7月ノアへ移籍。2012年にはフリーとなり、全日本プロレスに参戦。2014年7月からは全日本の社長に就任して、団体を引っ張っている。


インタビュー◎小佐野景浩

『俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)』より一部抜粋、全編は本誌にてお楽しみください。

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