この日、私は後楽園ホール西側の指定席を買った。

馬場さんが亡くなったのは1999年1月31日。あの日私は「闘龍門」(現・DRAGON GATE)の旗揚げ興行を後楽園ホールの西側指定席で観ていた。

ブラックデビルそのままのストーカー市川の超絶的な弱さに驚き、CIMAのやんちゃさに新鮮さを感じ、入場時にパンツにご祝儀をいれてもらうマグナムTOKYOのパフォーマンスにまた驚いた。

マグナムTOKYOは試合後のマイクで「夢を捨てなければカバン持ちからでもプロレスラーになれるんです!」と叫び、観客の心を打った。後楽園ホールにいる観客すべてが、等身大の若者に喝采を送った。

1月31日とは、馬場さんが亡くなった日であり、またひとつ新しい「プロレス」の誕生を見れた日でもある。忘れられない日だ。

そんなことを思い出しながら今回の「十七回忌追善興行」もあの日と同じ西側の席に座った。

感想を言うと、未来も伝統も観られた興行だった。ここでいう伝統とは「継続」と言い換えてもよいかもしれない。

若い選手も活躍したが、やはり、渕正信である。

プロレスファンは、理想を求めて新団体を旗揚げしたり脱退したりするレスラーにワクワクし、夢を見る。託す。

しかし「残った人」も見守る。そしてここが面白いところだが、「残る」という選択をした人たちのほうが、そのあと一回りも二回りも大きくなるというケースも多い。天龍が抜けた後の三沢や、新日本プロレスの棚橋などたくさんいる。若い可能性を持っていた。

2000年に全日本プロレスで大量離脱があったとき、「残った」渕正信はもう若くはなかった。残ったのは渕と川田利明の2人だけ。哀愁が漂いすぎた。

だけど渕正信はいつも自然体で「毅然」として見えた。

あれから十数年、秋山準率いる新生・全日本が昨年からスタート。そして今回の「ジャイアント馬場十七回忌追善興行」。

大熱戦の試合のあと、最後にマイクを握った(渡された)のは渕正信だった。

西側の席から見るとリングに立つ渕正信の向こうに「全日本プロレスに思いを込めて!」という赤くて大きな横断幕が重なった。

「いつもはこんなに力出ないから(苦笑)。どうか皆さん、ジャイアント馬場さんのことを忘れないでいてください!」

16年前の1月31日は若者の叫びに拍手を送ったが、今年はおじさんの叫びに拍手した。

良い興行でした。

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