江戸時代の主な街道には関所があり、通行する人々をチェックしていました。特に厳しく吟味されたのは「入り鉄砲と出女(でおんな)」。江戸への武器持ち込みと、人質である大名の妻や子女の脱出でした。

関所を避け、裏道や間道を抜けると「関所破り」。これは大罪で、捕まったら磔(はりつけ)です。有名な国定忠治は上州・大戸の関所を破って磔刑(たっけい)になっています。

しかし、忠治のように処刑される人は、めったにいなかったといわれています。それは、関所破りが少なかったからではなく、積極的な取り締まりがされてなかったからです。
関所破りが多いと関所役人の責任問題になるし、犯人を追うには人手や金がかかります。なるべくコトを荒立たせたくないと、見て見ぬふりをする役人が多かったのでしょう。

入り鉄砲や出女とは無関係の庶民に関してはチェックがゆるく、通行手形がなくても通れたりしました。たとえば、親が急病で手形を取る暇がなかったという場合、役人が小芝居をして通過させることもあったそうです。どんな小芝居?



答え :通行人を後ろ向きにして、その人が行きたい方向へ「戻れ、戻れ」と押した。通過させるのは違法だが、押し戻すのは問題ないという理屈。

出題:浜川卓也

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