3月27日のチュニジア戦、31日のウズベキスタン戦で、ついにベールがはがされたハリルジャパン。
ハイド・ハリルホジッチ監督(62)が試合中に見せた激昂する姿や、激しい身振り手振りは闘将そのもので、選手からも"戦う姿勢"が漂っていた。

また、ピッチ外でも、国際Aマッチ最多記録保持者・遠藤保仁を外したほか、
「どんな選手であってもベンチに置くのを恐れたことは一度もない」と、本田圭佑や香川真司のようなスター選手も優遇しないとする"武闘派"だが、彼の心情の根底には、自身の壮絶すぎる波乱人生があるという。
「祖国で体験した内戦・国家分裂や民族問題が、ハリルの人生観や行動に大きく影響しているんです。監督就任会見でも、"妻が日本の歴史について書かれた本を買ってきてくれた""皆さんの食文化もぜひ体験したい"と語るなど、日本の文化や歴史背景を理解しようとする姿勢が強く見られます」(スポーツ紙記者)

ストライカーとしてユーゴスラビア代表やフランス1部リーグで活躍し、現役時代を終えたハリルは、母国で飲食店などを経営する。
その後、地元の「FKヴェレジュ・モスタル」の監督に就任。指導者としての人生が始まるが、1992年から始まったボスニア紛争に巻き込まれてしまう。
「ある日、自宅前で発生した銃撃戦を止めさせようと間に入り、臀部に被弾したことがあるんです」(前同)

これが民族派集団の反発を買ってしまい、脅迫を受けたのだが、それでも入院した病院から戦争を止めることを訴え続けたため、
「結果、自宅を焼き討ちされてしまい、選手時代に得た報酬や飲食店事業で得た利益、およそ3億円を失ってしまいました」(前同)
そうした苛烈な体験を経ても、自身の信念を曲げないのがハリルなのである。

元日本代表監督のオシム氏とはボスニア出身で同じ境遇を持ち、親友と称する間柄。その壮絶人生に裏打ちされた凄みと経験が、かつて、日本サッカー界を席巻した"オシム旋風"を再び巻き起こす!

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