早乙女太一「女形を演じることが大っ嫌いでした」~女形役者の人間力の画像
早乙女太一「女形を演じることが大っ嫌いでした」~女形役者の人間力の画像

「ずっと嫌々な気持ちでやらされてきた女形を、自分の意志が芽生えた今だからこそ、何かしらの形として残したいなという意地はあります」

4歳から舞台に立たせてもらっていますが、一番ひどい時は、お客さんの入りが3人なんてことがありましたね。しかも、3人が家族連れだったので、実質1組しかいなかった。
ただ、僕自身は、全然そんなこと思っていないんですが、テレビで100年に1人の天才女形なんて言われるようになって、劇場のお客さんが一気に増えましたね。入りきらなくて、補助席を出すくらい満員御礼でした。でも、1週間くらいすると、いつも通りに戻っていましたけどね。

女形を演じることで、多くの人に知ってもらえるようになったんですが、当時は、女形を演じることが大っ嫌いでしたね。15、16歳くらいの時って、単純に男が女装するなんて格好悪いって思うじゃないですか。
だから、"やらされている"という気持ちが、とても強くて、正直な話、なんでそこまで注目してもらえるのか、さっぱりわかりませんでした。こんなこといったら、当時、観に来てくれたお客さんに失礼かもしれませんが、僕自身がお客さんだったら、絶対に観に行こうと思わなかったですからね。まぁ単純に、反抗期だったのかもしれません。

その感覚が、一気に変わったのが、17~18歳の時でした。特にこれといった転機があったわけではないんですが、その頃の男ってみんな大人の考え方になっていく時期じゃないですか。僕も役者としての自覚が、ようやく芽生えてきて、何かがバッと広がった感覚がありました。
公演が早く終わらないかなっていうことは考えず、その1回1回で自分がどれだけレベルアップができるのか、さらに言えば、お客さんにどう映るかだけじゃなくて、自分と向き合ったり、その場にはいないけど、他の舞台で頑張っている役者さんとかに見られても恥ずかしくないものにしたい。
そう思えるようになってからは、些細なことでも一つ一つ大事にするということの意味が、初めてわかりました。その小さい一つが大きなものに繋がっていくんだなって。

今は、舞台に立てることが辛いこともありますが、楽しいです。特に今回ゲキ×シネとして上映される劇団☆新感線さんの『蒼の乱』は毎日が刺激的でした。そもそも、僕は舞台には立っていましたが、他の舞台を見たことがなくて、13歳の時、初めて見たのが劇団☆新感線さんで、大きな衝撃を受けたんです。
それから、僕のなかで劇団☆新感線の舞台というのは、憧れでしたから。今回の舞台では、殺陣をやらせてもらったんですが、劇団☆新感線のは、すごい特殊なんです。

舞台は、常にお客さんに見られているので、ごまかしがきかないんです。だから、客席のどの角度からみても切る時は、ちゃんと刀があたって見えるように、本当に細かい角度まで計算し尽くされている。
その分の難しさはありましたが、今までのクールな役とは違った少しコミカルな要素のある役を演じさせてもらったり、今作で新感線さんの舞台は3回目なんですが、前回よりセリフが増えたり、自分ができることが、徐々に増えていく。それがとても嬉しかったです。

やらされていると思っていた時は、目標や夢を持ったりしたことはなかったんですが、自分の意志で歩くようになってからは、いろんな役に挑戦したいと思うようになりました。
お芝居って一生学んでいくものなんだなと思っています。舞台と映像では、演じ方が違うし、年齢によって演じる役も変わるので、今しかできないものを大事にしていきたいですね。
だから、女形は、今でも正直、好きとはいいきれないところはあるんですが、それが武器になっていて、そのおかげで、声をかけてもらえる舞台もあるんです。
ずっと嫌々な気持ちでやらされてきたものだからこそ、ちゃんと自分の意志で形として残したいという意地はありますね。今しかできない役でもありますから。

撮影/弦巻 勝


早乙女太一 さおとめ・たいち

1991年9月24日、福岡県生まれ、B型。『葵劇団』の劇団員の両親のもとに生まれ、4歳で初舞台に立つ。02年に、両親が『劇団朱雀』を旗揚げし、その舞台で演じた女形が大きな注目を浴びることになる。その後、『劇団朱雀』の2代目を襲名。15年2月に劇団を解散し、現在は舞台のほかにも、テレビドラマ、映画、バラエティ番組など幅広いジャンルで活躍中だ。

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