歌手・山川豊「演歌は、曲の力を信じて辛抱強く歌っていくもの」~原点を見つめる人間力の画像
歌手・山川豊「演歌は、曲の力を信じて辛抱強く歌っていくもの」~原点を見つめる人間力の画像

「スランプのときには、とにかく初心の時の気持ちに帰らなければダメなんです」

来年で芸能界デビューしてから、ちょうど35年になるんです。本当に色々なことがありましたね。
特に、デビュー曲『函館本線』がいきなり売れて、紅白にも出場して、華やかにデビューさせてもらった分、その後、なかなか売れない時代が、辛かったですね。

一生懸命やってはいたんですけど、どんどん悪いほうにいっちゃう。一般の社会でも一緒だと思うんですけど、入社3年目までくらいの時期って無我夢中に仕事をするじゃないですか。でも4、5年経ってくると、会社の内部とか、人間関係がわかってくると、やっぱり悩んだり、苦しんだりすると思うんですよ。
僕の場合は、ちょうどその時期に、兄貴の鳥羽一郎が、バーンッと売れて、一気にスターになっていきましたからね。兄貴とは、今でも仲良いんですが、当時は兄貴と、比較されることで、やっぱり焦りみたいなものが、あったんだと思います。

それで、考え込むようになってしまって、夜も眠れない日が続いたんです。このままじゃダメだ。とにかく体を疲れさせて、夜にちゃんと寝れるようにしようと思って、ボクシングを始めたんです。
それが、効果てき面で、もう夜になると起きてられないくらい眠くて、家に帰ったらすぐに寝れるようになりました。

誰にもスランプの時っていうのはあると思うんですけど、そういう時こそ、違う世界を見ることってとても大事なんだなと思いましたね。
ボクシングの世界でも、負けが込むようになると、何がいけないのか必死に考えて、ボクシングばかりをやろうとするんですよ。でも、するべきことはボクシングじゃないんです。ボクシングのことを一度頭から離して、走り込みをするんです。

デビュー当時一生懸命走っていたのに、いつのまにかないがしろにしていたりするんです。そうじゃないだろうと、昔の気持ちを思いださなければ、ダメなんです。
仕事も同じ。デビュー当時のことを思い出して、もう一度、新人の気持ちで仕事をしていかなければ、いけなかったんです。

そんな時に出会ったのが、『しぐれ川』という曲。これがダメだったら、もう芸能界は諦めようという覚悟で歌いました。初心に帰って、全国各地のキャバレー、スナックと、とにかく歌ってまわりました。
キャンペーン先のホステスさんが、温かくてね。お客さんに"ほら、1000円出しなさいよ"って促してくれて、CDを買ってくれました(笑)。

演歌って本来、1~2年で結果が出るような世界ではないんですよ。流行り歌のように、出していきなり100万枚売れちゃうようなことはないんです。全国をまわって、地道にお客さんに曲を知ってもらって、その人たちにカラオケで歌ってもらって、それを聞いた人がまた、違う場所で歌ったりしてくれて。徐々に浸透していくもので、やっぱり4~5年はかかるものなんです。

だから、曲の力を信じて辛抱強く歌っていかなければならないんです。『しぐれ川』は、4年間、歌い続けました。それが、『夜桜』、『きずな』に続いて、3曲で100万枚近く売れて、紅白でも歌わせてもらった『アメリカ橋』に繋がったんです。
そういう意味では、今回の新曲『螢子』も、長く歌っていきたいですね。それだけ、曲の力もあると思っています。長年連れ添った奥さんに対する旦那の感謝の気持ちを歌った曲なんですが、中々、普段は照れ臭くて言えない言葉を代弁しています。

デビュー35年という節目を迎えますし、もう一度、デビュー当時を思い出して、普段、なかなか行けない地方の方まで行って、100人ぐらいの所でいいんです。みんなに座布団を持って来てもらって、お客さん一人一人の顔が見えるようなコンサートをやりたいです。
そして、この『螢子』という曲を一人でも多くの人に歌ってもらいたいですね。

撮影/弦巻 勝


山川豊 やまかわ・ゆたか

1958年10月15日、三重県生まれ。81年に『函館本線』でデビュー。その年の『日本レコード大賞』の新人賞を受賞するなど、数々の賞の新人賞を受賞。86年にはNHK『紅白歌合戦』に初出場。兄は同じく演歌歌手の鳥羽一郎。今年発売した新曲『螢子』はオリコンランキングに発売以来連続ランクインし、動画サイトでも再生数50万回突破するなど注目を集める。ボクシングC級プロライセンス、プロボクシングトレーナーの資格を持つ。山川豊氏の最新作『螢子』は、ユニバーサルミュージックより絶賛発売中!7月2日~26日まで東京の明治座にて『山川豊・水森かおり 特別公演』開催中。

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