テレビや雑誌の特集で有力な医師が取り上げられ、「名医」や「神の手」などと紹介されることがよくあります。そうした記事や番組を見て、病気になったらぜひ「名医」にかかりたいと思う人も多いでしょう。
しかし、実際に「名医や神の手」と呼ばれる医師に話を聞いてみると、このように取り上げられることを、必ずしも好ましく思っていない人が多いのです。なぜでしょうか。
その医師にしかできないような、難しい手術があるのは確かです。そうした場合には、日本中どこに住んでいても、ぜひその医師のもとに飛んで、なおる可能性があるなら、その医師の執刀で手術を受けるべきです。
ですが、ほんらいの手術とは、特定の医師だけができるようなものであってはならないのです。なぜなら、その医師が引退したら、その手術ができる医師がいなくなってしまうからです。
名医といわれる医師に聞くと、手順さえしっかり身につければ、どの医師でも安全・確実にできる手術こそ「良い手術」というのだそうです。そのために、新しい手技を開発した医師たちは、それを普及させるために学会などで積極的に発表しています。
自分が開発した手術の手順が標準化し、多くの医師が安全・確実にできるまで普及させてこそ、外科医冥利に尽きるというのです。安全・確実に手術できる医師が増えれば、それを享受できる患者が増えるからです。
「名医」というとどうしても、ほかの医師には真似できない、最先端の技術を駆使するイメージがあるかもしれません。しかしそれが、医師の功名心を煽り、群馬や千葉のような医療事故を生む背景にあったことは否めません。
医師側も患者側も、マスコミによって作りだされた、間違った「名医像」に踊らされすぎているのではないでしょうか。たとえば、あまり命にかかわらないような病気でも、万が一のことを考えて、名医にかかろうとする患者がいます。
しかし、名医だからといって、どんな病気も得意とするわけではありません。前述したとおり、医師には得意・不得意があります。名医とはいえ、慣れていない方法で手術すれば、それは初心者マークの医師が手術するレベルと変わりなくなってしまいます。
また、名医だからといって、なんでもかんでもさせるのは、社会的に見て損失だということもできます。その医師が得意な病気や治療に集中してもらったほうが、効率よく治療をすることができ、技術の向上にもつながるからです。
過度な「名医信仰」も、やはりよくありません。本当に自分が必要とする医療は何か、そのためにどんな医師にかかるのがいいのか(あるいは、医師にかかる必要さえないのか)を考えて、病院や医師を選ぶべきでしょう。
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