漫画家・植田まさし「月84本、年間だと1000本以上の漫画を描いていますね」の画像
漫画家・植田まさし「月84本、年間だと1000本以上の漫画を描いていますね」の画像

「休みはありませんが、僕にとって一番の息抜きは、"おもしろい"って思えるネタが描けた時なんです」

今は、新聞と雑誌の連載で、ネタは月84本描いていますね。年間だと、1000本以上かな。
土日も関係ないし、1日まるまる休みっていうのは、30年以上ありませんね。世間が土曜日も休みになるってなった時は、"ふざけんな"って思いましたよ(笑)。

一日に2.7本描かないといけない計算だから、一日サボると、次の日、5本描かなければいけない。昔は、お盆とお正月は、わーって描きためて、ストックを作って、休んだりはしていたんですけどね。
でも、新聞の連載だと、掲載される日が、雨かどうかとかって気になるんですよ。雨が降っている日に、すごい暑いネタをやってもしょうがないですから。そうすると、やっぱりネタのストックは作らずに、前日に描かないとダメなんです。

7本のネタを描くのに、20本くらいのアイディアを出して、その中から面白いものをピックアップしていく。
そんな毎日を30年以上送ってきましたから、最近は、逆に毎日、机に向かって仕事していないと気持ち悪い。机に向かうと、ホッとしますね(笑)。

そもそも、なんで4コマ漫画を描き始めたかというと、僕は、漫画を読んだことがほとんどなかったんですよ。だから、漫画を目にするのは新聞の4コマぐらいで、僕の中で漫画のイメージは4コマだったんです。

小さい頃は、野球少年で、高校でラグビー部に入って、外で遊ぶタイプの人間でしたからね。
ただ、ラグビー部に入ったら、きつい練習についていけずに、体を壊して、2か月ほど入院することになっちゃったんです。
スポーツはできなくなってしまったので、大学では、写真をやり始めました。当時は、学生運動の真っ只中でしたから、彼らを追いかけて撮っていたんです。警察との衝突現場なんかにも潜り込んでね。

でも、ある日、気がついちゃったんですよね。所詮、ほとんどが一般の学生ですから、本気でやってないなってことに。それで、写真への興味も一気になくなっちゃったんです。
将来、何していこうかなと悶々としていた時、広告の裏に落書きで、漫画を書いたら、おもしろいって言ってくれる人がいたので、漫画でやってみようかなって。

何社か持ち込みに行ったら、芳文社が受け取ってくれた。ちょうど、広告が1ページおっこっちゃったみたいで、そこに使ってくれたんです。そこからちょくちょく単発で依頼がくるようにはなったんですが、連載の話はこなかった。その頃は、ポジティブだったんでしょう。"売れたらどうしよう"って、ずっと考えていたんですよ(笑)。

そしたら、今まで通りのペースで描いていたら、絶対に追いつかないなって思って、アイディアの出し方の本を読んだりしていたんですよね。
その時に、とにかく描いてみるっていう方法を知ったんです。

例えば、コーヒーと題材を決めたら、とりあえずコーヒーの絵を描いてみる。それを見ていたら、これが天つゆだったらとか、醤油だったらとか、そこから色々とネタを膨らませていくんです。この方法は今でも続いているんですよ。

だから、売れない時代に準備していたのが、良かったのかな。その後、4コマ誌がわーって何誌も出た時期が来て、新人の人もたくさん出てきましたけど、長続きしない人がほとんど。その人たちは準備期間がなかったんだと思います。

今は休みはありませんが、僕にとって、一番の息抜きは、"これはおもしろい"って思えるネタが描けた時なんですよ。どんな趣味をやっても、それには敵わない。
たとえ、ゴルフに行って、いいスコアを出したって、仕事で、すげぇおもしろいものを、描けた時のほうがスカッとしますね。

撮影/弦巻 勝


植田まさし うえだ・まさし

1947年5月27日、東京都生まれ。中央大学文学部を卒業後、兄が経営する学習塾でアルバイトとして働き、71年に『週刊漫画TIMES増刊号』にて、『衝撃マンガ2題』でデビュー。82年から『読売新聞』で『コボちゃん』の連載スタート。30年以上の連載で、原稿を落としたことは一度もない。その他、「週刊大衆」で連載中の『かりあげクン』を始め、『フリテンくん』、『おとぼけ課長』など多数の連載を抱え、精力的に活動中。

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