関本賢太郎「阪神一筋で戦い続けた“代打の神様”」【プロ野球・レジェンド選手の感動プレー】の画像
関本賢太郎「阪神一筋で戦い続けた“代打の神様”」【プロ野球・レジェンド選手の感動プレー】の画像

 多くのファンに愛された名プレイヤーが惜しまれつつグラウンドから去った。そんな彼らが現役時代に魅せた“感動的なプレー”を誌上再現!――関本賢太郎(37=内野手・1997年〜阪神)は、97年に天理高校からドラフトで2位指名されて阪神入り。以来、生え抜き選手として人気を博したが、15年シーズンを区切りに現役生活にピリオドを打った。9月30日に開かれた引退記者会見では、「今季2回目の二軍生活を送っている間に、“もしかしたら潮時かな”という考えが芽生えた。(打てるようにはなったが、)打てなくなって、野球を嫌いになって野球を辞めるのは嫌だった」と引退の理由を述べた。

 現役最後の数年は“代打の神様”と呼ばれるほど、勝負強さが際立った関本だが、それを象徴するのが、14年7月13日の対巨人戦(東京ドーム)での活躍。2点リードされた7回二死満塁の場面。2番・大和の代打として打席に入った関本は、巨人・澤村拓一の4球目を左翼スタンドに運んだ。起死回生の代打逆転満塁ホームラン。左翼スタンドは狂喜乱舞の大騒ぎとなった。ちなみに、伝統の巨人-阪神戦での代打逆転満塁本塁打は史上初の快挙。そのまま守備についた関本は、次の打席でもタイムリーを放った。

 関本と同じく、代打の切り札として活躍した当時の八木裕・二軍コーチは、次のような興味深いコメントを残している。「(関本は)ダイヤモンドを一周するとき、まったく喜んでなかったでしょ。この気持ちは、代打をやった者にしかわからない。代打で本当に大仕事をしたときって、そういうもんなんです。次の打席でタイムリーを打ったときには笑ってた。これも、そういうもの」そして、和田豊監督は、「とっておきの関本が、いい仕事をしてくれました」と、手放しの絶賛ぶり。これに対して、関本は、「みんなが繋いでくれたチャンスだったので、なんとかランナーを帰したい一心でした。最高の形になってくれて本当によかったです」とクールにコメント。阪神一筋19年、戦い続けた男が、ファンに魅せてくれた最高の瞬間だった。

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