「損するから入らなくていい!」草なぎ剛は、元CHA-CHAだった!?の画像
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 SMAP結成前、「スケートボーイズ」というグループ名で活動していたことは、あまりにも有名。同ユニットのメンバーは流動的で、TOKIOの国分太一(41)やV6・坂本昌行(44)、俳優の反町隆史(42)も、一度は名乗ったことがあった。このころから、のちにSMAPとなる6人の歌手デビューは当確だったが、木村拓哉(43)と草なぎ剛(41)は、ほかのグループでデビューする話も挙がっていた。

 そのグループとは、CHA−CHA。88年にコントアイドルとして華々しくデビューした5人組で、萩本欽一(74)の番組「欽きらリン530!!」(日本テレビ系)から誕生した。前身は「茶々隊」だった。

 この初期メンバーオーディションに、ジャニーズ事務所の命令でSMAP6人も受験した。そして、木村と草なぎが合格したのだ。しかし、ハードで理不尽なレッスンに耐え切れず、木村は脱走。真面目な草なぎは努力を重ね、グループはCHA−CHAに改名。CDデビュー直前まで漕ぎつけた。

 しかし、このとき、欽ちゃんのセンサーが働いた。「剛は損するからね、CHA−CHAに入らなくていいよ」と、脱退を言い渡したのだ。草なぎは、ギリギリのところで欽ちゃんの預かりからジャニー喜多川社長(84)の元に戻り、CHA−CHAより3年遅れてSMAPでデビューを果たした。CHA−CHAは1988年にデビューしたが、1992年に活動停止。元CHA−CHAで、タレントとして成功を収めたのは勝俣州和(50)だけ。あのときの欽ちゃんの判断は、間違っていなかったようだ。

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