ダンナになったら「お金を払うのが当然」な理由の画像
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 最近、インターネット上では「男がお金を払うのは当然」という書き込みに対して、男子たちの一部が「誰が決めたんだ、そんなこと!」と反論しているのを見かけます。男である筆者の私は、男が払うものという刷り込みを受けて育ったため、あまり疑問に思いませんでしたが、確かに当然と思っている人のために払うのはあまり気が進まないものです。

 また、喫茶店で「旦那の稼ぎが少ないから」とため息まじりの声が聞こえてきた時は、耳が痛い思いをしました。しかし、語源と時代により「男はお金を出すもの」という考えに疑問を抱かなかった背景もあります。

 古代インドで使われていたサンスクリット語に、「与える」「贈る」という意味の「ダーナ」という言葉があるそうです。それが仏教に取り入れられ、日本ではお布施をする人の意味として「檀那」や「旦那」が使われました。

 そして江戸時代になり、御家人が「檀那(旦那)様」、下級の御家人が「檀那(旦那)」と呼ばれ、商人はお金を払ってくれる客の武士に対して、旦那様あるいは旦那と呼んでいたのだそうです。そのような時代を経て、いまに至るというわけです。

 ほかにもサンスクリット語から伝わった言葉が存在します。出家した女性を尼さんと呼びますが、その「尼」という言葉も、善良な女性やお母さんを意味するアンバー(ambaa)からきているそうで、2人の息がピッタリなことを表わす「あうんの呼吸」も「A」「U」「M」から成るオームというサンスクリット語からきているそうです。

 古い仏教語が日常的に使われるケースはほかにもさまざまあるのですが、今回はサンスクリット語が語源のものをご紹介させていただきました。

 旦那の語源は、「与える」や「お金を出す人」でしたが、現代は家庭環境も複雑化しており、共働きや家事の分担、あるいは夫が家事や育児に専念するなどそのあり様も多岐にわたるため、あくまでも語源は語源だけのこと。さまざまな方面で頑張っている「旦那」が理想だと私は思います。お金だけじゃなく目に見えないいろいろなものを与える、そんな旦那でありたいものです。

長谷川正和
86年、神奈川県生まれ。男性のハンドモデルとしてコマーシャルから広告、再現VTR等に出演。物心ついた頃からお腹が弱いため、身体の「中身」のスキンケアも徹底している。

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