織田信長と豊臣秀吉。この2人の天下人に仕えた茶人が千利休。「侘び茶」を完成させ、茶の湯を芸術の域まで高めたことで「茶聖」とも呼ばれています。信長亡き後は秀吉に重用され、一時は大名を凌ぐほどの名声と権威を誇りました。しかし天正19年(1591)、秀吉の突然の命令で切腹。その首は一条戻り橋にさらされました。
なぜ、秀吉は利休を殺したのか。その真相は不明。今も歴史の謎として残されています。千利休という名前は、いかにも茶聖にふさわしい感じですが、これは本名ではありません。「千」は祖父が使っていた号の「千阿弥」から取ったもの。「利休」は禁中の茶会に参加するために必要とされた居士号で、使い始めたのは晩年。それまでは千宗易と名乗っていました。もちろん、これも本名ではありません。利休の本名は○○与四郎。名字は現代でもよく見かけるありふれたものです。その名字とは?
(1)田中
(2)斉藤
(3)鈴木
答え:(1)
出題:浜川卓也