作家・なかにし礼「悩まずに考える、それが自分の意志で生きる意味」~直覚を信じる人間力の画像
作家・なかにし礼「悩まずに考える、それが自分の意志で生きる意味」~直覚を信じる人間力の画像

 人生の幕が下りるときがついに来たのか――。昨年の2月、がん再発がわかったときそう覚悟しました。いよいよ逃れられないなと。

 ぼくは4年前、陽子線治療というがんを切らずに治す新たな治療法を選んで克服しました。しかし、今回は以前陽子線を当てたところとオーバーラップする恐れがあるので、頼みの陽子線が使えない。リンパ節のがんが成長して気管の壁膜を破れば、命は4日間しか続かない。とにかく1日も早く手術する必要があった。手術に踏み切ったものの、がんが気管支に張り付いていて取ることができなかった。医師から「年単位でなく、月単位で人生を考えてください」と言われるほど切迫した状態でした。

 僕は26歳と53歳の時に心筋梗塞で闘病しています。前回のがんも含めて、これまでの闘病は生きることが前提だった。しかし、次は生きて帰れないかもしれない。葬儀の準備をして自分の戒名も考えました。ぼくは決して、絶望していたわけではないんです。枯れかけたアサガオであれ、瀕死の鳥であれ、生きとし生けるものは命ある限り生きようとする。それが本能です。自ら死のうとするのは、天の理に反している。がんが再発したけれど、残りの人生を納得いくまで生きようと抗癌剤治療をはじめました。1回目の抗癌剤治療のあとの検査結果を見てみるとがんが40%消えていた。体力の回復を待ちながら、抗癌剤治療を繰り返し、がんを小さくしてから陽子線で残ったがんを叩き、生還を果たすことができた。ぼくだけではなく、医師たちも本当に驚いていましたね。

 ただ抗癌剤治療は想像以上に辛かった。抗癌剤はがんだけでなく、身体そのものも痛めつけます。ぼくの場合、1日24時間、5日間休みなく投与した。吐き気、倦怠感、不眠、気分も鬱状態で気力も失せる。死んでもいいとまで思うほど辛かった。では、自分自身を元気づけてエネルギーを燃やし、生きている実感を得るためには何ができるか。

 そう、ぼくには小説を書くしかなかった。戦争体験をいかに歌の詩に昇華させてきたか。自分の人生を総括する『夜の歌』という小説の連載を『サンデー毎日』ではじめたんです。力尽きて途中で倒れても悔いのないような描き方をしよう。途中で死んでしまうかもしれないけど、それはそれで面白いじゃないかと(笑)。そもそも最初のがんのとき、心臓の持病で長時間の手術に耐えられなかったので、ぼくは手術を勧める医師たちに逆らってインターネットで見つけた陽子線治療に賭けた。自分の意志で決断する――。ぼくは幼いころからそうやって生きてきた。いや、自分で決断してきたからこそ、いままで生き延びることができた。

 終戦時、6歳だったぼくは満州から引き揚げでいつ死んでもおかしくないような経験をしました。あるときぼくたち家族が乗った汽車に敵の飛行機が近づいてきた。ぼくを座席の下に隠した母は、列車から降りて逃げた。汽車は敵機の機銃掃射を浴びて、ぼくの目の前でも多くの人が死にました。ぼくが生き残ったのは単なる偶然でした。難を逃れて僕を探しに戻ってきた母の言葉がまたいいんです。「あなたはこれから自分の意志で逃げなさい。母親だって頼りにしちゃいけないよ」 以来、僕は泣くことを止めて自分の意志で行動するようになった。爆弾が落ちてきたとき、悩んで思考停止していたら、必ず死んでしまう。ただ逃げても生き残れるとは限らない。戦場では何が起こるかわからない。死は偶然なんです。

 それは日常でも同じ、考えれば必ず答えが出るというものでもない。人生はそれほど単純でも明快でもないからだ。しかし、考えを集中し持続することによって、単純明快でない世の中を突き抜けていくような、あるべき答えに到達することができるものと信じている。それを「直覚」とぼくは呼んでいるが、その直覚こそが人間に最善の方法を教え、決断し行動に移す勇気を与えてくれる。ぼくは困ったことがあっても悩まない。悩まずに考える。それこそが自分の意志で生きるということの意味だと思う。

撮影/弦巻 勝


なかにし礼 なかにし・れい
1938年、旧満州生まれ。離宮大学在学中に、シャンソンの訳詩を始める。その後、作詞家として『天使の誘惑』、『今日でお別れ』など、4000曲もの楽曲を手掛け、日本レコード大賞を3度受賞するなど時代を代表する作詞家として活躍。98年に小説『兄弟』を発表し、作家としても活動を始め、00年には『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞。その後も数々のヒット作を世に送り出している。

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