嵐の結成直前「2人でジャニーズ退所」を伝えに行ったメンバーの画像
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 嵐・櫻井翔といえば、ジャニーズ屈指のお坊ちゃまインテリボーイだ。父は東大卒の官僚、母は大学教授で元総理大臣の故・小渕恵三さんと親せき。母の実家は新聞社を営む資産家一族だ。妹は成城大学卒の日本テレビ社員、弟は翔と同じ慶應ボーイである。

 そんな櫻井は、中学生の時にひょんなことからジャニーズ事務所に入ってしまったが、学校の入学、卒業を迎えるたび、事務所の退所を考えていたという。ジャニーズJr.時代の仲間といえば、皆デビューすることを夢見ていたが、櫻井は「100を持っている人がいるのに、40しか持っていない俺が行っていいのかな」と悩んでいた。

 バックダンサーとして昇格していき、テレビ番組の出番が多くなるにつれ、葛藤は増していった。そこで17歳の時、ついに行動を起こす。当時同じくデビューしたくないと考えていた二宮和也と話し合い、「明日断りに行こう」と約束したのだ。

 翌日の朝、2人でジャニー喜多川社長の自宅へ向かった。しかし、あいにくの不在。お手伝いさんにリビングへ通され、そこで櫻井と二宮が目にしたのはあるメモ書きだ。そこには、さまざまなグループ名の候補らしきものが書かれていた。だいたいアルファベットの名前だったが、その上に大きくバツ印があり、「?」と書いて「クエスチョンズ」と読むようなものもあった。そして、その一番下に書かれていた名前が「嵐」だった。

 1980年代のジャニーズでは、男闘呼組、少年隊、忍者(少年忍者)など漢字表記のグループが存在したが、それ以降はSMAP、KinKi Kids、TOKIO、V6などのアルファベット表記が主流。「嵐」という名前を目撃した2人は、「嵐って……」と少しがっかりしたという。その後、退所の意思を伝えることができないまま、99年11月、ハワイでのデビュー記者会見前日を迎えてしまった。

 その夜、メンバー5人とジャニーさんはハワイの焼肉店にいた。突然、「YOUたち、明日から嵐だから」と告げられる。

 高校を卒業して、大学に進学して就職するという青写真を描いていた櫻井は、「は?」という感情しか抱けず、まだ辞めたい気持ちをくすぶらせていたようだ。同じく、ステージの裏方業に就きたかった二宮も、釈然としない思いを抱いていたという。さらにいうならこの時、大野智もいつ退所を切り出そうかと、その時期を推し測っていたそうだ。

 こうして5人のうち3人がグループ脱退を考えたまま、嵐はデビューする。そんな彼らの気持ちに転機が訪れたのは翌2000年のこと。3月に行なわれたコンサートで、最後にメンバー全員が手を繋ぎ「俺たちが嵐!」と叫んだ。「We are 嵐」と叫んだ時、櫻井はようやく嵐としての自覚に目覚め、「自分の中のギアがひとつ上がった」という。

 もしあと半年、嵐の結成が遅かったら、奇跡の5人は揃わなかったかもしれない。嵐は、まさに運命に導かれたメンバーなのかもしれない。

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