ささきいさお「『ヤマト』を歌って、本当に人生が変わりましたね」~コツコツ努力する人間力の画像
ささきいさお「『ヤマト』を歌って、本当に人生が変わりましたね」~コツコツ努力する人間力の画像

 昨年でありがたいことに、デビュー55周年を迎えたんですが、最近、ようやく“歌うまいね”って言ってもらえるようになりましたよ(笑)。年をとって、力が抜けてきたんですかね。少しは楽に歌えるようになってきました。若いときは、力んではダメだってわかっているのに、力が入ってしまうんですよね。

 特に、ヤマトを歌うときは、力が入るというより、むしろ恐かった。人間って不思議なもんで、実際に聞いたものより、記憶のなかでは美化されているから、お客さんの期待感がとても大きいんですよ。それに応えなきゃいけないわけだから、しんどいですよね。僕にとって、ヤマトを歌うときは、君が代を歌うぐらいの心構えでした。

 “歌はあんまりうまくないんだ”って歌うことに対して、コンプレックスを持っていたんでしょうね。17歳のときに、なんとなく歌手になってみようと思って事務所に入ったんですが、歌の勉強を1年くらいみっちりしてからデビューするのかと思ったら、いきなりロカビリー歌手としてデビューでしたから。当時は、まだ日本の音楽のレベルが、そんなもんだったんですよね。今のように、カラオケがあるわけでもないし、ラジオから歌謡曲が流れるくらいで、音楽に触れる機会もずっと少なかったわけですから。デビューしてから歌の勉強をするって人が多かったんですよ。先日、雪村いづみさんと話していたら、“あたしなんて、譜面が読めなかった”って言っていましたから(笑)。

 僕もブルースは12小節だって基本すら知らないまま、よく人前で図々しく歌っていたなと、今になって思いますよ(笑)。“ああ、歌ってこうやって歌うんだ”って一から歌の勉強をしたのは、ロカビリーブームが下火になって、人気がなくなってからでしたね。その当時は、結構めちゃくちゃな生活(笑)。ミュージカルの仕事をもらっても、演出家とケンカをしちゃったり、家庭もうまくいかなかった。酒飲んで、麻雀やって。その頃、住んでいたアパートに同級生も住んでいて、そいつが麻雀好きだったんで、電話すると、すぐ4人集まって始まっちゃうんですよ(笑)。

 あと、浦安の海岸に、夜釣りをしにしょっちゅう行っていました。鯖が釣れたんですけど、これが、脂がのっていてうまいんですよ(笑)。そんな僕の姿を見て、親父もさすがに“お前、大丈夫なのか?”って心配しているから、“まあ、なんとかなるよ”って言っていました。“勉強をし直したら、絶対また仕事ができるようになる、忙しくなるんだ”っていう漠然とした自信だけはあったんですが、まあ、周囲は心配しますよね(笑)。

 それが、ヤマトを歌わせてもらうようになって、本当に人生が変わりましたね。仕事もめちゃくちゃ忙しくなったし、街を歩いていたら、“あっヤマト”って声をかけられるようになったんですよ。“ささき”とは言われませんでしたけどね(笑)。 運命って不思議なもんですよね。30代って歌手にとって、声が一番出る時期らしいんですよ。そのタイミングでアニメソングの話がきた。しかも、ヤマトは、当初は、別の歌手が歌うはずだったんです。でも、プロデューサーの声が、僕と同じように低くてね。自分でも歌えるキーにしたかったようで、僕にお声がかかったんですよ(笑)。その頃には発声から全部やり直してましたからね。

 そう考えると、出会いっていうんですかね、それで助けられてきましたよね。僕自身は、何かズバ抜けた才能で、パッと成功するタイプではなく、努力してコツコツ、一歩一歩、歩いてきたと思うんです。今年5月に、デビュー55周年記念シングルを出させていただいたんですが、少し先に行けば、少し成長しているし強くなっている。これまでの僕の人生そのまんまを、畑亜貴さんが曲にしてくれたんです。それが、表題曲の『今の向こうの今を』。先のことは、どうなっていくかわからないですけど、声が出る限りは歌っていきたいですよね。

撮影/弦巻 勝


ささき・いさお
1942年5月16日、東京都生まれ。60年、“和製プレスリー”のキャッチフレーズで、歌手デビュー。同年、大島渚監督の『太陽の墓場』の主役に抜擢され、俳優としても活躍。72年にアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』で声優として注目を集め、翌年アニメ『新造人間キャシャーン』で主題歌を担当。その後、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』など数々の名作アニメの主題歌を担当し、「アニメソング界の大王」として活躍。現在も歌手、声優として精力的に活動中。

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