田上秀則「拾ってくれた王会長には感謝しかありません」プロ野球・不死鳥プレーヤー列伝の画像
田上秀則「拾ってくれた王会長には感謝しかありません」プロ野球・不死鳥プレーヤー列伝の画像

 大型捕手として期待され、01年に中日に入団した田上秀則氏(36)。2年目にはウエスタンリーグで本塁打王を獲得し、「将来の4番」ともいわれていた。だが、当時の中日に正捕手として君臨していたのが、現中日監督の谷繁元信氏(45)。

「高すぎる壁でした。全部がすごかった。谷繁さんの全盛期でしたしね。たまに一軍の試合に出ても、なかなか結果が出ないところで、3年目に足を手術し、4年目のオフに戦力外になりました」

 足の故障もあり、「これも運命だ」と、田上氏は野球を辞めることを決意した。その気持ちをひっくり返したのが、父の言葉だったという。

「親父に“せっかくプロ野球選手になれたんだ。なりたくてもなれない人のためにも、貫き通しなさい”と言われたんです。それで、ソフトバンクの入団テストを受けることになりました。ダメならダメで仕方ないという気持ちでしたね」

 テストでは、足が痛いこともあり、思うようなパフォーマンスができなかった。それでも、結果的に合格となったのは、城島健司がFA宣言し、正捕手不在となったソフトバンクのチーム事情もあっただろう。

「運命もあったんでしょうね。王貞治会長(当時は監督)が僕を拾ってくれた。使ってくれたのも王会長だったし、本当にいろんなことを教わりました」

 徐々に出場機会が増え、持ち前の長打力も、王会長の指導の下でますます磨かれていく。田上氏が放つ打球は、高い放物線を描き、広い福岡ドームの外野席に突き刺さった。 正捕手に定着した09年はパ・リーグ4位の26本塁打、80打点と申し分のない成績を残し、ベストナインにも選ばれた。まさにサクセスストーリーを歩んだ田上氏だが、そのときのことは、あまり覚えてないという。

「日々、勉強で大変でした。毎日、必死でしたよ。一打席、一打席を大切にしようという気持ちで打席に立っていましたね」 その根底には、王会長と球団への感謝の気持ちがあった。

「ホークス、王会長に拾ってもらった。その気持ちを忘れたことはありません。今、プロ野球生活を振り返ると運が大きかったと思いますよ。プロ野球ってすごい選手の集まりなわけですから。もちろん実力があってこそですが、最後は運だったりするんですよね」

 ソフトバンクで8年間プレーし、13年に現役を引退。現在は大阪市内で、『TCrew』というバーを経営している。「今は、野球界復帰は考えず、野球以外のことを経験したい。毎日が勉強で、難しいですね」

 常に勉強。それは引退後も変わらない。

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