長瀬智也はボーカルじゃなかった!? 「TOKIO幻のメンバー」の存在の画像
長瀬智也はボーカルじゃなかった!? 「TOKIO幻のメンバー」の存在の画像

 今年の大みそかでSMAPが解散すると、ジャニーズで少年隊につぐ古参グループとなるTOKIO。デビュー23年目突入で、ある意味、長兄ユニットになるわけだ。彼らが、現在の地位を築き上げるまでの道のりは険しく、まさに苦難の連続だった。その23年の歴史の中で、実はTOKIOにもSMAPでいう森且行のように、“幻のメンバー”がいた。それは、小島啓である。

 1992年、TOKIOが新ユニットとしてアイドル雑誌に登場し始めた頃、小島は今の長瀬智也のようなポジションにいた。当初のメンバーは、城島茂、松岡昌宏、山口達也、国分太一に小島という5人編成である。この頃、最年少15歳の長瀬智也がサポートメンバーとなる。翌93年にはアイドル雑誌の表紙の常連になるが、当時はテレビ、ライブ以外の活動では、長瀬を除く5人での活動が多かった。翌94年1月には、全国7カ所(23公演)のファーストライブツアー、3月には3都市12公演を成功させている。

 そして5月15日には、ジャニーズタレント史上初にして、TOKIOだけしか達成していない記録をつくった。大阪松竹座で、なんと1日10公演を行ったのだ。朝から晩までの超ハードなステージスケジュールである。現在、『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)で彼らが見せているガッツは、この伝説の松竹座公演で育まれたのかもしれない。

 この前人未到のライブでメインボーカルを務めたのが小島だった。歌手デビュー後のセンターポジションも小島で決まりだと思われていた。そして、松竹座からおよそ2カ月後、デビュー記者会見が開催される。すると驚くことに、その場に小島の姿はなく、タンバリンを担当していた長瀬が、「ボーカル」として紹介されたのだ。

 ジャニーズグループのメンバー編成やグループ名は、すべてジャニー喜多川社長の独断だ。小島が消え、長瀬が大抜擢された理由は、なんだったのだろうか。その真相はジャニー社長のみぞ知るといったところか。しかし、その結果、TOKIOというグループが大きな成長を遂げたのはご存知のとおりだ。

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