グループ最年長・城島茂が「TOKIOのリーダー」になったワケの画像
グループ最年長・城島茂が「TOKIOのリーダー」になったワケの画像

 TOKIOといえば、歌えて踊れて楽器も弾ける、おまけに無人島まで開拓してしまうアイドルだ。そんなTOKIOのCDデビューは1994年、それ以前は少年隊のバックダンサーとして活動していた。

 その頃、移動中の車内で、前に座っていた誰かがシートを倒し、後部に座っていた誰かの膝に当たったというようなくだらない理由で、メンバー同士がケンカを始めたことがあった。すると、同乗していた少年隊の植草克秀が「おまえら、なにやってんだ! リーダーは誰だ」と怒ったという。メンバーが「(リーダーは)いません」と答えると「だから、そんなふうなんだ。今すぐリーダーを決めろ」と命令。そして、ジャンケンでリーダーを決めることになった。

 最初に勝ったのは、最年長の城島茂だった。ジャンケンに勝った城島は、これで自分はリーダーにならずにすむと思ったが、植草に「勝ったから、おまえな」と言われてしまった。

 少年隊による“ジャンケンリーダー決定”は、TOKIOに続き、嵐でも行われている。嵐のリーダーは、ジャンケンで勝った大野智に決まった。

 TOKIOの結成初期、城島は20歳、最年少の長瀬智也はまだ小学生で、ランドセルを背負っていたそうだ。今では“兄貴”と慕われている松岡昌宏も当時は中学生。それほどの年齢差があったため、必然的に城島がメンバーたちの面倒を見る役割になっていたのだという。

 メンバーたちが大人になってからは、あまりリーダーっぽくない感じになったという城島茂。しかしテレビなどでのメンバーたちのやりとりを見ていると、城島が他のメンバーみんなから愛されていることが伝わってくる。ジャンケンに勝ってリーダーになったときは「貧乏クジ引いた」と思ったという城島だが、結局のところ彼だからこそTOKIOのリーダーが務まったのではないだろうか。

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