丸山隆平が村上信五の家に居候!? 関ジャニ∞「超貧乏だった」下積み時代の画像
丸山隆平が村上信五の家に居候!? 関ジャニ∞「超貧乏だった」下積み時代の画像

『NHK紅白歌合戦』(NHK)に5年連続出場を果たし、近年ますます波に乗っている関ジャニ∞。現在では全国的な知名度も上がった彼らだが、結成当初は八人編成のグループだった。今では俳優として活躍する内博貴もメンバーとして活動しており、また当時は内と錦戸亮が関ジャニとNEWS、2つのグループをかけもちしていた。

 当時、絶対的エースの山下智久がいたNEWSは、とにかく華やかだった。それと比べてしまうと関ジャニは地味。ローカル色が濃く、デビュー前後の下積み生活もとにかく長かった。

 関西ジャニーズJr.は、大阪松竹座でライブをするのが慣例となっている。ここを埋められるようになれば、徐々にホールのレベルが上がっていく。しかし、結成時の関ジャニは、この1000人キャパの会場をずっと埋めることができなかった。オリジナル曲がないため、コントや漫才など“関西”らしい特色を打ち出し、工夫を凝らしていた。

 あるとき、KinKi Kidsがコンサートを開いている大阪ドーム(現在の京セラドーム)で、彼らのバックダンサーを務めたことがあった。同会場では客席をブロックごとに分けていて、振付師の先生に「おまえらがやってるのは、あのワンブロックだけ」と嫌みを言われた。そのワンブロックさえ満員にできないことを悔しく思ったという。結局関ジャニは、大阪松竹座を完売するまでに3年かかった。

 また当時、常に金欠状態だったメンバーは、東京で仕事があるとき、漫画喫茶の980円コースで一泊するなど、自分たちなりにやりくりしていた。ハードな仕事の日は、たまに事務所からご褒美としてグリーン車のチケットが用意されたが、払い戻しをして自由席に変更し、その差額を食費にあてたこともあったらしい。

 丸山隆平は毎回、夜行バスで上京していたそうだ。丸山は京都から大阪に通っていたときにも電車賃に困り、村上信五に相談したこともある。村上は「家に来い」と言ってくれ、一時期村上の家に居候していたという。

 ロケ地は自分たちで調べ、自分たちだけで現地へ行くこともよくあった。関西のローカル番組は東京に比べムチャな注文も多かったが、メンバーたちはそれらの仕事をきっちりとこなしてきた。結成から5年後、それまでバックダンサーとして立っていた東京ドームに、自分たちのライブで立てたときは、観客が自分たちを見に来ていることが信じられなかったという。今ではジャニーズの中でも人気グループとなった関ジャニ∞。しかし、彼らがここまで歩んできた道はけっして平坦ではなかったようだ。

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