春場所、14勝1敗の好成績で初優勝を飾った大関・稀勢の里が横綱昇進を果たした。ご同慶の至りである。新入幕から73場所目での初優勝は、史上2番目の遅さ。大関在位31場所での初優勝は昭和以降、最も遅い記録だという。耐えて忍んで、やっと射止めた角界最高位だった。

 ちなみに30歳6カ月での綱取りは師匠の横綱・隆の里(鳴戸親方)に次いで、昭和以降、7番目のスロー昇進。2011年11月に急性呼吸不全で他界した“おしん横綱”も草葉の陰で、さぞや喜んでいることだろう。

 その鳴戸親方に生前、稀勢の里について聞いたことがある。「力はあると思うんですが、相手の動きを読む力がない」 辛口の弟子評が返ってきた。

「強くなるヒントは土俵以外の至るところに転がっている。たとえば現役時代、僕は八百屋に行くと、オバちゃんがどのようにして野菜を売るのか、注意深く見ていた。売りたいあまりに無理強いしてもダメだし、黙っていてもダメ。こちらの購買意欲をあおるセリフや、絶妙の間というものがあるんです。それは相撲においても役に立ちました。相撲はまず相手との駆け引きですから……」

 現役時代、鳴戸親方は“マスコミ嫌い”で通っていた。自らの発言が相手に伝わることで、手の内がバレるのを恐れたのである。

 そんな鳴戸親方が、珍しく冗舌だったことがある。1981年の名古屋場所だ。「今場所は親方から“思い切って突っ込め”と言われているんだ」 当然、そのコメントは新聞に載る。

 実はこれが、ライバル千代の富士に勝つために打った周到な布石だった。「立ち合い前には、おでこを叩いたり、ほっぺたを叩いたりと猪が今にも突っ込むぞという素振りをした。すると千代の富士がパッと左に変わった。罠にまんまとはまったんです。彼の表情を見ると真っ青でしたね」

 愚直な稀勢の里がこんな駆け引きを覚えたら、それこそ“鬼に金棒”である。

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