V6坂本昌行、SMAPにもTOKIOにも参加していた!?の画像
V6坂本昌行、SMAPにもTOKIOにも参加していた!?の画像

 光GENJIとSMAP、解散してしまったこの2組のグループには、現在活動中のTOKIOやV6も深く関わっている。1月11日に放送されたTOKIOのレギュラー番組『TOKIOカケル』(フジテレビ系)に、V6の“トニセン”メンバー、坂本昌行、長野博、井ノ原快彦がゲスト出演。本人たちの記憶をたどりながら、事務所への入所順を年表にし、当時の思い出を語った。

 V6長野は1986年の4月に入所。その一カ月後に元光GENJIの佐藤アツヒロ、さらに7月にTOKIO城島茂が入所したという。ひと足先にスーパースターとなった佐藤よりも、長野のほうが先輩だったというわけだ。

 87年2月には、V6坂本とTOKIO国分太一が同じ日にオーディションを受けて合格、入所した。国分は、そのとき坂本が着ていたトレーナーをよく覚えていて、「動物柄で、真ん中にZOOって書いてあるトレーナー」でとてもインパクトがあったらしい。

 光GENJIは佐藤が入所した翌年、87年8月にデビュー。デビュー前、メンバー候補に挙がったジャニーズJr.は、毎週ローラースケートの練習をしており、長野も参加。そして、ここから選抜されたメンバーが光GENJIとしてデビューしたが、長野はメンバーに入れなかった。後に長野は「ユーを入れれば良かったよ」と、ジャニー喜多川社長から言われたそうだ。

 当時、ジャニーズJr.内のグループでは、メンバーの行き来がよく行われていた。坂本は、サポートメンバーとしてTOKIOで歌っていたことがあるという。また、坂本が16歳、国分が13歳のときには、SMAPの前身ユニット「スケートボーイズ」のメンバーとして活動していた時期があった。スケートボーイズが「SMAP」と改名され、メンバーが絞り込まれた後も、雑誌の撮影要員として呼ばれていた。しかし91年、いざデビューとなったときには、メンバーは中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の五人に。その後、国分はTOKIOとしてデビュー、坂本もV6としてデビューを果たした。

 どのグループもジャニーズを代表する存在となったが、もし光GENJIに長野博、TOKIOに坂本昌行、SMAPに国分太一が入っていたとしたら、いったいどんなグループになっていたのだろう。

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