嵐の大野智は、ジャニーズの中でも歌とダンスのうまさに定評がある。絵画といった芸術的センスも高く評価されているが、その一方でアイドルらしからぬ飾らない雰囲気が魅力でもある。
常にマイペースな大野だが、そのマイペースぶりはジャニーズJr.の頃から変わっていないらしい。事務所の後輩で俳優の生田斗真は、そんな“伝説的なJr.”と呼ばれていた当時の大野の姿をテレビで語ったことがある。
ジャニーズには、SMAPの代からレッスンを担当している、とにかく怖い振付師がいた。生田は、大野がその先生から怒られるシーンを何度も目撃していたそうだ。この先生にどなられたJr.たちは「すみません!」と普通はすくみ上がるが、生田いわく「この人(大野は)、ガン無視」だったらしい。「おい! 大野」「なんだそれは!」とよくどなられていたものの、それを大野は「すっごい無視」していたという。
あるとき、大野が衣装の靴ではなく、似たような自前のスニーカーで踊っていたところ、振付師の先生に「靴、おまえだけ違うじゃないか!」と怒られたという。
マネージャーには自前でいいと言われていたので、怒られたことにイライラした大野は、先生を無視。しかし、大野が何も言わないため、「おまえ、なんで(大野に)言わねぇんだ!」と、そのとき大野の隣に座っていたJr.がとばっちりを受けて怒られたのだとか。このエピソードだけを見ても、大野がいかにマイペースだったかが分かる。
さらに当時の大野は、Jr.の間で「ツチノコ的な存在」でもあった。それは当時、京都で1日5回公演の『ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO』という舞台にずっと出演していたため、他のJr.たちが、なかなか彼に会えなかったからだ。周囲は、大野のことを「はたして実在するのかっていうレベル」「雑誌でしか見なかった」と言い、生田も京都に行って「あれが大野智だ!」と思ったという。しかし、生田は歌も踊りもうまいのに「ボ~っとしてる」大野のことを、「なんなんだ、この人は」とも思っていたそうだ。
大野は、16歳から18歳にかけて『KYO TO KYO』で主役を務めていたが、舞台の千秋楽を終えた後、ジャニー喜多川社長に事務所退所の意思を伝えたそうだ。しかしその後、メンバーとして嵐への参加が決定、今に至る。
人気グループ・嵐のリーダーでありながら、今でもマイペースを貫き続けている大野智。そのマイペースさこそが、“伝説”と呼ばれる理由なのかもしれない。