TOKIO国分太一「庶民派MC」の原点は“団地”の画像
TOKIO国分太一「庶民派MC」の原点は“団地”の画像

 TOKIO国分太一は、ニホンモニターが発表する「タレント番組出演本数ランキング」で2014年から16年までの3年間、連続トップに輝いている。16年は年間出演数659本で、3連覇は史上初という快挙だった。

 そんな国分が生まれ育ったのは、東京都東久留米市にあった団地だ。本人も「私の80%は団地でできています」と胸を張るほど“団地愛”が強い。

 子どもの頃から、おもちゃのマイクを持ち、ほぼ毎晩、夕食時に“リサイタル”を開いていたそうだ。その当時、国分はふすまの敷居の上にスーパーカー消しゴムを置き、ボールペンのバネ式ノックで前に飛ばすという、昭和の子どもらしい遊びもよくしていたらしい。

 団地の間取りや設備も“これぞ昭和”という造りで、風呂は公団住宅を中心に全国的に普及していた「バランス釜」だった。現在は屋外給湯器が主流だが、国分が生まれ育った70年代は、浴槽の横に大きな釜がついており、それでお湯を沸かしていた。釜にスペースを取られるため、浴槽はほぼ正方形。換気も悪く、浴室の白い壁には水玉模様のような茶色いカビが無数にあったが、国分は「うちは星空がいっぱいあるんだ」と思いながら入浴していたという。

 国分の住んでいた団地は、現在すでに取り壊されてしまい、現在両親は国分がプレゼントした家で暮らしている。しかし、国分は今でも団地を見るといろいろな思い出がよみがえってくるそうだ。国民的アイドルになっても団地育ちであることを忘れない国分太一。そんな庶民感覚を持った彼だからこそ、日本中のお茶の間で愛され続けているのだろう。

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