笹川能孝「友達は裏切るけど、孤独は裏切らない」笹川流を貫く人間力の画像
笹川能孝「友達は裏切るけど、孤独は裏切らない」笹川流を貫く人間力の画像

 自分が生まれた家が、他の家と違うということに、気がついたのは小学生の頃だったと思います。同級生が、流行りのテレビ番組の話で盛りあがっていたんですが、私の家では、そういう流行りの番組は一切、流れていなかった。テレビから流れていたのは、『ゴッドファザー』とか。私の父、つまり笹川良一の甥、彼の言うことは、我が家では絶対でしたから。5、6歳の時には父の隣で黙って一緒に観ていましたね。もちろん、話の内容は理解できなかったと思うんですが、映画から伝わる空気だけはなんとなく分かる。そういうものが、無意識に刷り込まれたんでしょうね。

■高倉健や菅原文太、松方弘樹の映画を観ていた

 小学3、4年生ぐらいの時には、親に黙って田岡一雄三代目の自伝を読んでいました。ほかにも、高倉健さん、菅原文太さん、松方弘樹さんとかが好きで、任俠映画もよく観ていましたね。それでも、やっぱり小学生ですから、当時ブームになっていたヨーヨーを父にねだったこともあります。でも、その時に“みんながやっているからという理由でやる。そんな人間には決してなるな”と叱られました。

■世間が騒いでいる時には寝ていろ

 父からの教えは、“世間が働いていない時に働いて、世間が騒いでいる時には寝ていろ”と。だから、我々はバブルの時代は、無傷なんですよ。その教えのおかげで周囲の価値観や、既存の価値観に、まず疑問を持つ。このクセがつきました。論語に『和して同ぜず』という言葉があって、調和を重んじることと、なんでも右にならえすることとは、違うという意味なんです。

 そのぶん、孤独ですけどね。周囲の人たちからも“しんどくないですか?”とよく聞かれます。でも、孤独を遠ざけるべき存在だと考えるから、そう思うだけで、父はよくこう言っていたんです。“孤独を友達にしろ”と。友達は裏切るけど、孤独は裏切りませんからね(笑)。

■笹川という看板を疎ましく思った時期も

 若い頃は、笹川という看板を疎ましく思った時期もありました。市長や偉い人に会っても彼らは私を見ているわけではなく、私の背後を見ているのが分かる。「じゃあ、俺はなんなんだ」と思っていた時期もありました。ただ、大人になっていく中で、血は血として認めなきゃいけないと思うようになりました。世の中には、2世3世の人がたくさんいるじゃないですか。中には、偉大な親、祖父母の存在がプレッシャーになり、ひねくれてしまう人もいる。そういう人は、今世はこれでいくと決めたら楽なんですよ。私は来世、家を背負わなくていい境遇に生まれたら、好き勝手にやろうと決めています。

●知的な野人たれ

 笹川という家に生まれたおかげで受けた恩恵は大きいですよ。その一つが本物の男たちに出会えたこと。彼らは清濁併わせ持っている。普通の人は、綺麗な物だけをやろうとする。でも、綺麗事だけでは世の中は動かせない。かといって、汚い事だけでも動かせない。その両方が必要なんです。私は、『知的な野人たれ』という言葉が好きで、よく使うんです。知的なだけでは、鼻につく人になってしまう。野人は、野生のエネルギッシュなもの。その両方が必要だと思うんです。

 大叔父である笹川良一が、毀誉褒貶あったのは、まさに清濁併わせ持っていたからではないかなと思います。良一は、自分は家族のために生まれたわけではないとハッキリ言っていますから、身内に優しいということは、基本的にはない。結婚式とかで一緒になるぐらいで、会話らしい会話をしたことは一度もないんです。血は繋がっていますけど、ファミリーというより、公の人でした。

 大叔父は、みんなが思っているのに言えないことや、みんながやったほうがいいと思っているのに、やれないこと。そういう問題を前に進めてきた。私も笹川の家に生まれた人間として、誰も手をつけたがらないような物事を、これからの人生を通して進めていきたいと思っています。

撮影/弦巻 勝

笹川能孝(ささかわ・よしたか)
1968年、東京都生まれ。笹川良一の弟、春二の孫として生まれ、幼少期から“笹川家の教え”を叩き込まれる。大学卒業後、カナダ留学を経て、公営ギャンブルの世界へ。政治経済界の数多の大物と出会い、“一流”とは何かを学ぶ。現在は、日本経済発展のため「経営者の相談機関」としての役目を担う。また、次世代の日本を担う若獅子の気づきの場『SSA』にて会長を務める。

本日の新着記事を読む