土屋敏男(テレビプロデューサー)「電波少年のルーツは欽ちゃん」面白いを追求する人間力の画像
土屋敏男(テレビプロデューサー)「電波少年のルーツは欽ちゃん」面白いを追求する人間力の画像

 今の時代、コンプライアンスなどの問題で、「かつての『進め!電波少年』みたいなテレビ番組が作れなくなった」とかよく言われるようになりました。でも、本当にそうなんでしょうか。だって、別に法律が変わったわけではないんですから。要するに、みんな無茶なことをしなくなっただけじゃないですかね。「それをすると、めんどくさいことになりそうだから止めておけよ」ということで。

 放送当時、パレスチナ自治政府のアラファト議長に会いに行って、『てんとう虫のサンバ』を一緒に歌うという企画をやったんですけど、たぶん僕らがいったら止められたとは思うんですよ。でも、実際にやってしまったのは、今まで誰も見たことがないし、面白そうだったから。やっぱりめんどくさいことを乗り越えるから面白いんですよね。

■『進め!電波少年』の参考になったのは萩本欽一

『電波少年』を作るうえで大いに参考になったのが、欽ちゃんが手掛けるドキュメンタリーの笑いです。僕は欽ちゃんのことを師匠と思っているんですけど、初めて一緒に仕事をしたのが1988年に放送していた夕方の帯番組『欽きらリン530!!』でした。でも、口でガンガン教えてくれる人ではないんですよ。だから、いつも欽ちゃんの姿をジーッと見て、いろいろなことを学んだという感じですかね。たとえば欽ちゃんは、新人や素人を使い、ステージ上で何かをやらせた後、アドリブでツッコミを入れることによってドキュメンタリーの笑いを生み出していました。さらに番組を通じて、彼らの成長過程を見せるというドキュメント性もあった。これって、そのまま『電波少年』にも当てはまるんですよね。

■松村邦洋や松本明子、猿岩石がアポなしで!

 松村邦洋や松本明子、猿岩石といった当時無名のタレントに対して、「笑いを取る必要はないから、とにかくアポなしでどこそこに行き、感じたことを表現すればいい」と言って送り出す。その映像にナレーションやテロップでツッコミを入れて、笑いにしていたんです。つまり、萩本さんがステージ上でやっていたことを、僕は編集所でやっていた。それが新しかったんでしょうね。

 でも、『電波少年』などのバラエティ番組を作ってきた影響か、最近ではテレビ業界のレジェンドとか言われることがあるんですけど、ほとんど興味がないんですよね。昔どうだったかなんて、どうでもいい。今何を手掛けていて、これから先何をしようとしているのかという現在形のほうが面白いじゃないですか。

■欽ちゃん主役の映画が公開中!

 欽ちゃんもまた、現在形の人なんですよ。今回、萩本さんを主役にした『We Love Television?』という映画を撮ったんですけど、これは「視聴率30%を超えるバラエティ番組をまた作りましょう」というオファーから番組放送後までを記録したドキュメンタリーです。その中で、かつて30%超えの番組を連発して“視聴率100%男”と呼ばれた人が、76歳になった今もなお、面白い番組を作って人を笑わせ、30%を取ることを諦めていない。いまだに戦い続けているんですよ。

 そんな姿を目の当たりにしたとき、「ああ、やっぱりこの人は自分の師匠だな」と改めて感じたんですけど、同時に「じゃあ、僕たちはどうなんだ?」という思いも抱きましたね。全国のテレビマンは、生業にしているテレビをこの人以上に愛しているのか。『We Love Television?』という、まさに現在形の萩本欽一から現在形のテレビマンへの問いかけでもあるんですよ。

■大ヒット映画やサッカーワールドカップは見ないようにしている

 僕自身としては、基本的に、大ヒット映画とかサッカーのワールドカップとか、誰もが見ているような物は見ないようにしています。だって、それで面白い物が作れるんだったら、こんなに楽なことはないですよ。みんなが見ていない物を見て、人がやっていないことをやるからこそ面白くなるんです。これからも、「誰もやっていないことは何か?」をずっと考え続け、新しい企画を生み出していきたいですね。

撮影/弦巻勝

土屋敏男(つちや・としお)
1956年9月30日、静岡県静岡市生まれ。79年に日本テレビ入社。92年から『進め!電波少年』シリーズを演出、プロデュースし、「Tプロデューサー」「T部長」の愛称で親しまれる。現在は日テレラボ・シニアクリエイターとして映像コンテンツを制作。現在公開中のドキュメンタリー映画『We Love Television?』では初めて監督を務めている。

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