服部幸應「やっぱり“食”は、人の基本なんです」食で磨かれた人間力の画像
服部幸應「やっぱり“食”は、人の基本なんです」食で磨かれた人間力の画像

 一番多い時で、『料理の鉄人』とかテレビだけで週9本やっていて、それに合わせて本業である学校の校長の仕事もしなくてはならないので、毎日何かしらの仕事がありましたね。何かやっているほうが楽なんです。だから、休みたいとか思わない。今も、平均すると3年に1日くらいしか休まないんですよ。休むと熱が出ちゃう。聖路加国際病院の日野原重明先生と、20年前くらいからお仕事でご一緒させて頂きましたが、先生も同じペースで働いて、1日3、4時間しか寝なかった。“ショートスリーパーじゃないと長生きできないよ”ってよくおっしゃっていました。

 まあ結局、好きなことをやらせてもらっているからでしょうね。たとえば、プラモデルが好きで完成するのに、どうしてもこれができるまでは眠れないと、どんどん明け方になっちゃう。そういう感覚なんです。

■映画『ラストレシピ~麒麟の舌の記憶~』のために113品目!

 今回の映画『ラストレシピ~麒麟の舌の記憶~』のために、113品目作ったんです。元が小説に出てくる料理ですから、それを再現するのは大変でした。でも、撮影のスケジュールは決まっているわけで、3か月くらいで作った。これ、ちょっと甘すぎるから、少し酸味を足そうとか。そんなことやっていると、あっという間に夜は明けちゃいます(笑)。

 好きじゃないことをやっていたら、すぐ休んじゃいますよ。元々の性格はとても飽きっぽいですからね。学生の時は水泳をやったり、ゴルフをしたりしましたけど、やっぱり上手く飛ばなかったり、思ったようにいかないことがあると、すぐ辞めちゃうんですよ。料理が好きだからやっているのかどうかはわからないんですけど、飽きないっていうことは、好きっていうことなんでしょうね。

■料理はその人のすべてが出る

 料理って、その人のすべてが出ちゃうんですよ。私の学校には、学生が1クラス40人いるんですけど、同じ材料を渡して、ヨーイドンで作らせる。出来上がった料理で同じものは一つもありませんからね。火の入れ方、温度、タイミング、それと味の塩梅。それに、一生懸命作っているか、適当に作っているかっていうことも如実に、味の違いとして出てきます。それどころか、うちの学校の教師だって、同じ本を渡してこれを作れって言っても、みんな違うんですから。

 今まで、どんなものを食べてきたかで、人それぞれの絶対味覚っていうのが、違うんだと思います。うちの女房と結婚したのは、女房の料理が気に入ったからではないんです(笑)。女房のお母さんが作った料理が、うまかったんですよ。この料理を食べて育ったのなら間違いないだろうなと。いつも朝ご飯を作ってくれるんですが、なんというか、塩梅がいいんですよ。おもしろいもので、うちの子どもたちも、おふくろの味にどっぷりハマって、外で食べてもあまり美味しいと思わないって言っていました。

■小泉純一郎元総理の時代に食育基本法が制定

 やっぱり、食っていうのは人の基本なんですよ。それなのに、日本の教育は知育徳育体育って3つの柱で出来上がっています。そこに、食育を入れるべきだと思って、政府に掛け合ったんですよ。最初は、橋本龍太郎総理に話すと、いいねと言ってくださったんですが、その後、辞職せざるを得なくなった。次の小渕恵三総理も賛成してくれたのに、亡くなってしまった。森喜朗総理になったら、“そんなの母ちゃんがやることだ”で終わり(笑)。結局、小泉純一郎元総理の時代の05年に食育基本法が制定することが出来たのです。

 昔から、日本人は食卓で箸の使い方や、マナー、好き嫌いをなくすなどの教育を受けてきた。それが、いま孤食の時代になってしまい、誰も子どもを注意する人がいなくなってきてしまった。それで、わがままな人間が増えてきてしまっている。しつけはもちろん、家族の結びつきも食卓から始まる。テレビを消して、家族で食卓を囲んで、家族で話し合う、そんな時間が増えるように働きかけ続けていきたいですね。

撮影/弦巻勝

服部幸應(はっとり・ゆきお)
1945年12月16日、東京都生まれ。立教大学卒業後、昭和大学医学部博士課程修了。77年に父が興した服部栄養専門学校校長に就任。広報活動に力を入れ、積極的にメディアに出演するように。93年から放送開始した『料理の鉄人』(フジテレビ系)で解説を務め、一躍脚光を浴びる。以後、『SMAP×SMAP』の人気コーナー『ビストロSMAP』の監修を務めるなど、数々のテレビ番組で活躍。その後、内閣府の食育推進室に名を連ねるなど、食育の普及に努める。

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