人との出会いは大切である。誰を、どう使うか。チームスポ―ツにおいて現場の人事権は全て監督の手に委ねられる。直接交渉を行ったメジャーリーグ7球団の中から大谷翔平が最終的に選んだのはア・リーグ西地区のエンゼルスだった。

■“二刀流”をいかすため、受け入れ体制は万全

 ア・リーグは指名打者制を採用している。北海道日本ハム時代に“二刀流”の練習法をほぼ確立していた大谷には、できれば同じ環境に身を置きたいとの思いがあったのではないか。2000年から指揮を執るマイク・ソーシア監督の評判もいい。02年と09年、2度ア・リーグの最優秀監督に選ばれている。「今回、大谷がエンゼルスを選んだ背景にはソーシアのメッセージがある。ヤンキースなどが具体的な起用法を伝えなかったのに対し、ソーシアは大谷の代理人に“大谷をDHで使う時は、主砲のアルバート・プホルスを一塁に回す”と言ったそうです。現場の指揮官の言葉は重い。エンゼルス入団の決め手になったと思います」(MLB球団日本人スカウト)

 ソーシアは大谷の“二刀流”をいかすため、先発ローテーションを5人から6人に増やすことも検討しているという。受け入れ体制は万全というわけだ。

■野茂英雄や松井秀喜には恩師がいた

 日本人メジャーリーガーの実質的なパイオニアである野茂英雄にはドジャース時代、トミー・ラソーダ監督という恩師がいた。野茂のことを「マイ・サン(我が子)」と呼び、打たれたときなどは自宅に招いて自慢のパスタをご馳走していた。

 野茂は語っていた。「ラソーダは“困ったことがあればオレに相談に来い!”といつも言ってくれた。あの一言でどれだけ救われたことか……」

 野茂がラソーダなら、ヤンキース時代の松井秀喜の恩師はジョー・トーリ監督だ。〈ヤンキースでは、不平不満は厳禁で、チームの勝利のために黙々と働くことを求められた。僕とトーリ監督の野球観は完全に一致していた〉(自著『エキストラ・イニングス』文藝春秋)

 指揮官とこうした関係が築けるなら大谷の前途は洋々である。

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