90回目のセンバツが3月23日からスタートする。新3年生は2000年生まれの、いわゆる「ミレニアム世代」。高校野球は新時代に突入する。注目選手のひとりに西舘勇陽という花巻東(岩手)の新2年生がいる。背番号17は、先輩の菊池雄星(埼玉西武)と大谷翔平(エンゼルス)が1年夏に付けていたもの。身長184センチ、76キロの偉丈夫。しなやかな腕の振りから伸びのあるストレートをびゅんびゅん投げ込んでくる。決め球は切れ味鋭いスプリットだ。本人は「チームを日本一に導きたい」と大きな目標を口にしていた。

 不思議なことに春夏通じて、東北勢は一度も甲子園の頂点に立ったことがない。11回決勝に進出し、全て敗れているのだ。悲運の歴史を振り返ろう。1915年夏、秋田中(秋田)。69年夏、三沢(青森)。71年夏、磐城(福島)。89年夏、仙台育英(宮城)、01年春、仙台育英。03年夏、東北(宮城)。09年春、花巻東(岩手)。11年夏、光星学院(現・八戸学院光星/青森)。12年春、光星学院。12年夏、光星学院。15年夏、仙台育英。仙台育英と光星学院に至っては決勝で3度も苦杯をなめさせられている。東北勢が戦った11回の決勝のうち、大差がついたのは11年夏の光星学院対日大三(西東京)戦くらいのもの。この時は0対11で敗れている。あとはほとんどが接戦なのだ。2点差以内の試合が8つもある。69年夏の三沢は松山商(愛媛)相手に延長18回を戦い抜き0対0。翌日の再試合で2対4で敗れている。

■北海道勢は駒大苫小牧が初優勝を果たした

 寒冷地のハンディキャップも近年は、ほとんどなくなっている。それが証拠に、04年夏には駒大苫小牧(南北海道)が北海道勢として初優勝を果たし、大旗は「白河の関」を飛び越えて津軽海峡を渡ってしまったのだ。もうそろそろ、もうそろそろと言われながら、随分時間がたつ。ミレニアム世代は東北の地に初めて大旗を持ち帰ることができるのだろうか。そろそろ悲運の歴史に終止符を打ってもらいたいものだ。

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