ダンディ坂野「伝統芸能のように思ってもらえたらうれしいです」変わらない人間力の画像
ダンディ坂野「伝統芸能のように思ってもらえたらうれしいです」変わらない人間力の画像

 マツモトキヨシさんのCMに出させて頂いて、“ゲッツ”がブレイクしたのが、2003年でしたから、今年でもう15年になるんですよね。10年経ったときに、“もう10年経ちました!?”とか言っていたんですけど、本当にあっという間ですね。

 売れたら親戚が増えるって言いますけど、本当にそうでしたね。帰省したら、色紙が積んであって、どこどこのお母さんのお姉さんの旦那さんのところの分みたいな(笑)。

 テレビなどでよく「一発屋」と言われますが、私の場合それほど高低の落差があったわけではないんです。ただ、テレビの露出が減るとどうしても消えたと思われてしまいますし、自分でも不安になった時期もあります。ヒロシくんや髭男爵がブレイクして人気者になっているのを見ていてうらやましいって思ってました。

 でも、ブレイクした芸人が入れ替わってまた新しい芸人が出てくるのを見て、“ああ、これはしょうがないんだ”って気がついたときに、精神的に楽になりましたね。落ち込んだり、腐っている場合じゃないなと、一時期の知名度を活かして、がんばっていけばいいかなって。

 それに気がついてからは、気持ちの浮き沈みはなくなりましたね。あと、12年にCM起用社数ランキングで6位になったんですよ。集計のタイミングが良かったっていうのもあると思うんですが、ランクインしているのは国民的アイドルや大物タレントさんばかり。そのときに、“ああ、このままでいいんだな”と思って、それからはブレなくなりました。もう、伝統芸能のように思ってもらえたらうれしいですね(笑)。

 どんなに滑ったとしても、“黄色のゲッツの人は、優しそうでにこやかだね”って思ってもらえていれば、それでいいのかなと思っています。

 芸人ではなくて、職業が人のいいオジさんなんじゃないかと思うくらい、そういったいいイメージを持ってもらえているのは、とてもありがたいことで、卑怯な言い方かもしれませんが、そこに気を付けていればいいのかなと。

 だから、人の悪口は絶対に言わないと決めています。でも、オンラインゲームをやっていて、同じチームに下手な人がいると、“ヘッタクソだな”と心の中で舌打ちしていますけどね(笑)。

 みなさんが思ってくれているイメージからズレないようにするためにも、進化はしないけど、退化もしないように気をつけています。一時期、急激に太ってしまったことがあったんですが、それを機にダイエットを始めて、それからは昔の体重をずっとキープしています。

 この黄色の衣装だって、海外ロケでアフリカの砂漠だろうが、インドだろうが、どんな場所でも求められればこれを着るようにしています。一度、営業で北海道の流氷祭りに行ったことがあるんですが、気温は氷点下で、寒風もビュービュー吹いている。ステージ自体が雪で作られているようなところだったんですよ。そんな状況でも、コートなんて着られませんから。

 そのときに、ファンの方から、“上着も羽織らずにがんばっている姿を見て感動しました”ってお声を頂戴して、うれしかったですね。

 最近は、いろいろなジャンルの仕事の話も頂きます。以前出演したミュージカル『アルプスの少女ハイジ』では、セバスチャンっていう執事の役を頂いたんです。奥さんに、そのことを伝えると、“アルプスの少女に出てくるのは、ヤギだよ”って。ヒツジじゃなくて、執事だよって伝えたら、びっくりしていました(笑)。

 演出の方が劇中に、“ゲッツ”を入れ込んでくれて、お客さんも喜んでくれて、とても楽しかったですね。

 ただ、どんな仕事にしてもダンディ坂野というキャラクターが核になっていることは間違いないので、いつまでも、みなさんから“黄色のゲッツの人”と言われるように、これからもがんばっていきたいですね。

撮影/弦巻勝

ダンディ坂野(だんでぃ・さかの)
1967年1月16日、石川県生まれ。26歳で上京し、お笑い芸人養成所に入学。漫才コンビ『ラヴリン』を結成。レンタルビデオ店でのアルバイト時代にみていたエディー・マーフィに着想を得て、96年から『ダンディ坂野』として活動する。03年にマツモトキヨシのCMに出演したのを機に、黄色のスーツを着用するようになり、“ゲッツ”のネタで大ブレイク。その後、テレビのほか、イベント営業や、企業CMに出演するなど活躍の場を広げ、今年の正月には『必殺仕事人』シリーズに出演を果たすなど、マルチに活動している。

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