サカクラカツミ
サカクラカツミ氏

 一丁締めってあるじゃないですか。ヨ~ッ、パンってやつ。

 これ、海外公演のときに、デモンストレーションでよくやってみるんですけど、不思議なことに、外国の観客が相手ではうまく合わないんです。たとえばロシアやドバイのお客さんで合わないのなら分かりますよね。でも、海外の日系会館みたいなところで、日系何世のお客さん相手でも、パン、と合わずにパラパラパラ、ってなっちゃう。

 でも日本だと、若い人たちでも、全員が合ったりするんです。日本文化の中に、このヨーとパンの間にある、一瞬の無音を取り入れる、独特なものがあるみたいなんですよ。どなたか学者の先生が研究してくれませんかね(笑)。

 体の動かし方にも日本独特のものがあります。能楽だとか武道の所作なんかがそうです。空手でいうと、帯の位置がどう動いても床と平行移動するような体の動かし方をするんです。パンチのときも、かかとを上げず、床につけたままスッと送る。

 そういう、日本人の根底に知らない間に染み込んでいる、間の取り方や体の動かし方。これが他の国にはない、日本文化の格好良さだと思います。それをエンターテインメントとして表現したいと思っています。

 な~んて、今でこそ言ってますが、実は、20代の頃は日本文化なんて大嫌いだったんです。アメリカのヒップ・ホップ(※1)が大好きで、真っ黒に日焼けしてチリチリのパーマをかけて、黒人みたいにしてました。でも、本当にうわべだけ真似してるだけで、なんにも分かってませんでした。

 そんな頃、マドンナ・グライムスさん(※2)という、アフリカ系アメリカ人のダンサーに会ったんです。彼女はハリウッドでスタジオを持っている、僕の憧れの人だったんですが、そんな彼女にこっぴどく叱られたんですよね。「私たちが、肌の色が黒いことでどんな思いをしているのか知ってるの」って。

 後から調べたら、「これがはたして人間が人間にしたことなのか」ってくらいひどいことを、黒人たちはずっと受けてきたんです。400年近く我慢してきたけど、自分たちのルーツをようやくひとつのカルチャーとして白人文化にぶつけられるものができた。それがヒップ・ホップだったらしいんです。

 それを東洋人が表面だけ真似てたんじゃ、やっぱり腹が立って当然ですよね。

 僕がすごく憧れていた方に、自分の今のスタイルがダメって言われたのもすごいショックでしたが、彼女はさらに、人生が変わるひと言を言ってくれました。「日本にはカッコいい文化がたくさんあるのに、なぜ他人の文化を真似してるの」って。

 それからは、いろいろと試行錯誤しながら、オリジナルのパフォーマンスを模索しました。小さい頃からやっていた空手の動きを取り入れたり、プロジェクションマッピングの技術を導入したり……。

 おかげで今では、いろいろな国からお呼びがかかるようになり、訪れた国は40か国。そのうち19か国ではテレビにも出ました。

 海外に行って一番ビックリするのは、「これで将来設計ができるのか」って人が、みんなすごくハッピーに生きているところです。

 でも日本って、ちゃんとした大学出て、ちゃんとした就職をして、その中でどんどん上にいかないとダメって、知らないうちに教え込まれてるじゃないですか。あまりにも真面目で勤勉すぎると思うんですよね。もちろん、それでここまで発展したっていうのもあるんですけど、心の病気の人もたくさんいるし、自殺者も多い。もっと好きなことをやって、楽しく人生をおくってもいいと思うんですよね。

 僕たちもこれまでは、海外へどんどん出ていこうと思ってましたが、今年からは日本人にこそ日本の格好良さを再認識してもらいたいので、日本での活動を頑張っていきたいと思います。

撮影/弦巻勝

サカクラカツミ(さかくら・かつみ)
1963年6月19日、愛知県名古屋市生まれ。5歳から空手を習い、大学ではボクシングに転向。大学卒業後にさまざまな職業を経験したのち、その身体能力を活かしてダンスの道に。1999年、盟友のエイコとパフォーマンス・ユニット『オリエンタリズム』を結成。2008年に加わったマミと3人で、世界を股にかけて活動する。

※1:ヒップ・ホップ=1970年代初頭に、主に米国のアフリカ系住人のコミュニティを中心に生まれた音楽、ダンス、美術の文化。
※2:マドンナ・グライムス=1962年生まれ。2016年没。ダンサー、振付師、フィットネス講師。米ハリウッドでスタジオを経営し、リリースされたダンスとフィットネスのビデオは20本を超える。

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