関根勤
関根勤氏が声優を務めた『映画クレヨンしんちゃん 爆盛り! カンフーボーイズ~拉麺大乱~』は現在公開中

 僕にとっては、テレビって神がかった世界なんですよ。今でこそ、テレビは日常に溶け込んで、芸能人も増えて、普通に街を歩いていたりしますけど、僕が子どもの頃は、テレビがある近所の家に、街中から人が集まって、大人も子どももテレビを食い入るように見ていた。

 テレビが最大の娯楽で、僕も大好きだったんですよ。特に、『シャボン玉ホリデー』、寄席番組。てんぷくトリオ、初代林家三平さん、コント55号、クレイジーキャッツが僕のお笑い四天王です。

 高校生くらいになると、同級生は南沙織さんとか、天地真理さんがいいなんて、色気づくんですが、僕はコメディ一筋。ただ、夏木マリさんには抗えなかった。セクシー路線できたから、あっさり、やられました(笑)。

 とても遠い存在だと思っていましたから、テレビに出るのは、もう木星に行くのと同じくらいの感覚です。出始めた頃は、踵と頭を持って、持ち上げれば橋になるくらい、緊張でカチンコチンでした。

 デビューは、大学生のときに出た『ぎんざNOW!』の素人コーナー。そこで5回勝ち抜いて、もう次の週からレギュラー出演ですよ。まー、乱暴ですよ(笑)。

 普通は、小さいライブハウスに出て、実力をつけてからテレビに出るのに、普通の大学生が、いきなりせんだみつおさんのアシスタントですから。

 基礎もなかったので、きつかったですよ。もはや公開修行。テレビで見ていた憧れの人たちを前にして、委縮しちゃったので、まあ、ウケなかった。1年間くらいは、いくらギャグをやっても、まったく放送されませんでした。番組の最初と最後にだけいる感じです。なんとか目立とうとしてもがいていました。今思えば、編集でカットしてもらえてよかったなと思いますけどね。

 その時代を耐えられたのは、小学校の経験が大きかった。小学2年から5年生まで、先生がすっごい厳しかったんですよ。大正生まれで、食べる物もない時代に、頑張って大学まで出て、教育者になった人だったので、戦後数十年でナヨナヨした甘い子どもたちを見て、許せなかったんでしょうね。

 よく、人格が壊れなかったなと思うくらい辛かった。まさに〝死の4年間?ですよ。それに比べれば、テレビに出られるわけですから、幸せな環境だと。

 厳しい先生だったので、その分、クラスは結束して、イジメはゼロ。友人に恵まれ、今でも年に2、3回は集まります。あと、そのときの救いがテレビだったんですよね。その時間だけは学校での嫌なことも忘れて笑っていられた。

 テレビが好きという気持ちは今でも変わらない。全番組録画していますから。その中で、気になった番組があれば、全部見ています。結局、僕は視聴者でもあるんですよね。

 だから、自分が出ていても、視聴者の方が、おもしろく見られるようにと思うんです。そうすると、たとえばキャイ~ンがバーっと出てきたときに、視聴者にとって僕なんか何年も見て、新鮮味がない。

 であれば、どんな子たちなんだろうって興味を持たれているキャイ~ンに話を振る。そうすると、盛り上がって、番組が面白くなる。それなら来週も見ようとなるじゃないですか。自分が目立つよりも、番組がおもしろくなるのが、一番の喜びなんですよ。

 今年で、デビューして44年になるんですが、昔から大好きで、出たいなと思う番組に色々と出させてもらえたので、とても嬉しいですね。

 今回、『映画クレヨンしんちゃん爆盛!カンフーボーイズ~拉麺大乱~』で2度目のアニメ声優に挑戦させてもらったのも嬉しかった。麻里と最初の映画からずっと観に行っていましたし、テレビシリーズも見ていました。その作品に、重要な役どころで出させてもらったわけですから。

 ただ一つ、大好きだけど、出演できていないのが、NHKの朝ドラ。お笑いを追求したいのは、もちろんですが、好きな番組にも出たいんですよね。オファーこないかな(笑)。

関根勤(せきね・つとむ)
1953年8月21日、東京都生まれ。74年、大学在学中に『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場の初代チャンピオンになり、芸能界入り。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に小堺一機とコンビ『コサキン』を結成し、注目を浴びる。85年からは『笑っていいとも!』に出演し、不動の人気を獲得。現在も数多くのバラエティー番組に出演するなど活躍中。

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