円楽が役モノに!? 『笑点』意外な“パチンコ化”の画像
円楽が役モノに!? 『笑点』意外な“パチンコ化”の画像

 1966年の放送開始から50年を突破した『笑点』(日本テレビ系)。前々々回(https://taishu.jp/articles/-/58897)、前々回(https://taishu.jp/articles/-/58899)、前回(https://taishu.jp/articles/-/58900)と番組のトリビアを何個か紹介してきたが、高視聴率を連発するお化け長寿番組にはまだまだ秘密があった。

■こんなにあった『笑点』のトリビア

●その七〇、地方公録で行われた真打ち披露口上

『笑点』の番組内で真打ち披露口上が行われることは数多い。多くの場合、後楽園ホールがその舞台となるが、唯一、群馬県桐生市での地方公録の場で披露口上が行なわれたのが、先代三遊亭円楽の愛弟子三遊亭楽麻呂。91年のことだった。

●その七一、『笑点』がパチンコ台に

必殺仕事人』『水戸黄門』『暴れん坊将軍』など人気番組が次々とパチンコ台となってきたが、『笑点』もパチンコ台になっている。03年に平和から発売された『CR笑点XJ』。役ものの円楽がガハハと笑えば大チャンスという逸品だ。

●その七二、木久扇はその昔、漫画家に弟子入りしていた

 多芸多才の林家木久扇。絵やマンガを描かせればプロはだし。それもそのはず、彼は落語家になる前、漫画家の清水崑さんに弟子入りし、本格的に漫画家修行していたというから、うまいのも当たり前だ。

●その七三、秘密の「アトリエ」

 木久扇は島根県美都町三谷の山奥にアトリエを持っている。92年に講演で訪れたこの地を気に入り、別荘として購入したのだという。ただ、静かすぎて一人でいるのが怖くなるほどで、アトリエとしては使われていないという。

●その七四、大喜利に乱入した芸人とは!?

 当時参議院議員だったコロムビア・トップ氏がゲスト出演したときのこと。大喜利で林家こん平が「政治家というものは笑点なんかに出演して漫談なんかやってるようじゃだめ」と発言したのに激怒、乱入して座布団を投げつけた。

●その七五、NAGOYA違いで大あわて

 名古屋での仕事の翌日、山形での仕事を入れた桂歌丸。しかしよく見てみると名古屋ではなく佐賀県の名護屋だった。このときは大あわてで境すすむさんと出番を入れ替えてもらい、タクシーをすっ飛ばして空港まで急いだという。

●その七六、返還前の香港で大暴れ

 97年、『笑点』30週年記念番組として返還前の香港でロケを敢行、『笑点in香港』というスペシャル番組を放映した。1時間半の拡大版で前半がメンバーによる香港ロケもの。後半が『大喜利』という構成だった。

●その七七、巨大うつぼを食べた好楽

 香港ロケで出演者を辟易させたのが「究極の海鮮料理」ウツボ。その姿を見るだけで歌丸や6代目円楽は引いてしまったが、果敢に挑戦したのが三遊亭好楽。しかし、実際は「とりあえず口に入れたものの飲み込めるものではなかった」らしい。

●その七八、タイに屋台ラーメンを出した木久扇

 01年7月、座布団10枚ためたごほうびとしてタイのチェンマイに木久蔵ラーメンの屋台を出すことに。「食用蟻」という現地の食材を使ったためか人気は上々。女優の菊川怜がお運びさんをやってくれるというおまけつきだった。

●その七九、古池がバリ島に?

 04年、6代目円楽が座布団10枚のごほうびとして「古池や蛙飛び込む水の音」を実現するために向かったのは、なぜかバリ島。天然の温泉に入って黒い腹を清めるというのが本来の趣旨だったが、単なるバカンスになってしまった。

●その八〇、『笑点』は最初からカラー放送だった。

『笑点』がはじまった1966年といえば、白黒テレビが全盛。カラーテレビの普及率はわずか0.3%という時代だった。こういう時期に始まった演芸番組が「カラー放送」というのは、当時としては画期的な出来事だった。

●その八一、二代目・座布団運びは毒蝮三太夫だった!

 当時、ウルトラマンのアラシ隊員役で人気上昇中だった俳優・石井伊吉は、故立川談志の発案で毒蝮三太夫と改名、二代目・座布団運びを襲名した。ここからおばあさんに悪態つく今日の「毒蝮キャラ」が定着する。

●その八二、『笑点チーム』が隠し芸大会で優勝した演目とは?

 79年、日本テレビが新春に放映していた『番組対抗かくし芸大会』に出演した笑点チーム。歌丸をプリマドンナに抜擢し、バレエ組曲『白鳥の湖』に挑戦。連日連夜の特訓のかいあって見事優勝、賞品のハワイ旅行を勝ち取った。

●その八三、座布団運びは山田くんで六代目!

 初代は談志の弟子の三升家勝松(桂文字助)、二代目が毒蝮三太夫、三代目が三遊亭笑遊(現・円遊)、四代目が桂米助(タレントとしてはヨネスケ)とアイドルの小野千春、五代目が松崎真、84年10月から山田隆夫となっている。

●その八四、公録中止最大のピンチは鳥取県境港

 これまで『笑点』の公開録画が中止となったことはただの一度もない。最もピンチとなったのは鳥取県境港市での公録。大雨と強風がふきつける悪天候で、飛行機が飛ぶのも危ぶまれたが、公録直前、奇跡的に天候が回復したという。

●その八五、“雀鬼”先代円楽を悩ませた10.5決戦

 巨人、中日が同率首位で雌雄を決した94年10月5日、麻雀に興じていた巨人ファンの円楽の元に各スポーツ紙からコメント依頼の電話が殺到。集中を切らしてピンチに陥ったが、電話をシャットアウトして大逆転したという。

●その八六、木久扇は食文化の守護神

 木久扇が好きな食べ物は何もラーメンだけではない。彼が、最近力を入れているのが、日本の伝統食クジラを守る運動。ここにきて国際捕鯨委員会の風向きが「商業捕鯨容認」の方向に向いて来たのは木久扇の活動の成果かも?

●その八七、たい平の「馬鹿たれスケベ社長」は地か?

 歌丸政権のスタートと同時に正式メンバーとなった林家たい平。彼が押し出しているキャラクターが「馬鹿たれスケベ社長」。他のメンバーとはかぶらないキャラで評判もいいようだが、スケベっぷりはやっぱり地?

●その八八、『笑点』に新風を吹き込んだ春風亭昇太

 16年5月22日、歌丸から司会が変わり新しくなった新『笑点』の象徴が昇太。新作落語の名手・春風亭柳昇の弟子でハチャメチャな新作落語から、自分なりにアレンジした古典まで幅広くこなす。持ち前の明るい性格で、『笑点』に新鮮な風を吹き込んでいる。

 50年を超える超長寿番組『笑点』にはあっと驚くトリビアもあった。今後も変わらず、視聴者に笑いを与えていただきたいものだ。

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