今回は、先代と比較されがちで、必ずしもおいしいポジションとはいえない「2代目」がテーマです。異なるジャンルから、3つの問題を用意しました。(文中敬称略)
【Q1】徳川秀忠が2代目将軍に選ばれた理由は?
江戸幕府の第2代征夷大将軍・徳川秀忠は、父親の家康、息子の家光と違い、あまりクローズアップされることのない人物です。家康の息子の中で、長男の松平信康、次男の結城秀康、四男の松平忠吉に比べ、三男の秀忠は武将としての評価は高くなかったともいわれています。それでも家康は、秀康ではなく秀忠を自分の後継者に選びました(信康は秀忠誕生直後に他界)。この人選に関して考えられている理由のうち、間違っているのは次のどれ?
- (1)秀康の母親の身分が、秀忠の母親より低かったから
- (2)秀康は女グセが悪く、不真面目人物だったから
- (3)秀忠の性格が、安定した時代を治めるには適していると考えたから
【Q2】巨人の2代目監督に関して正しいのは?
読売ジャイアンツの前身である大日本東京野球倶楽部(35年より東京巨人軍)の初代監督は三宅大輔という人物でした。三宅は、慶應義塾大学の捕手として活躍。クラブチームを経て、41歳で1934(昭和9)年のチーム結成に参加し、監督となりました。しかし、指揮官としてアマのチームに連敗したことで、三宅は職業野球のリーグ戦開始前の35年に解任されています(諸説あり)。
そして、2代目監督になったのが、早稲田大学出身の浅沼誉夫です。浅沼もチームの生え抜きで、現在のGMに近い“総監督”というポジションに就いていました。そこから、現場の指揮官に配置換えとなった次第です。さて、この2代目監督に関して、正しいのは次のどれでしょう?
- (1)チームの優勝監督第1号である
- (2)短期間で解任されている
- (3)翌年、阪神の監督に就任した
【Q3】2代目若大将と加山雄三の関係は?
大ヒットしたシリーズ映画の主役交代というのは、なかなか難しいようです。たとえば、大映の『眠狂四郎』シリーズは、市川雷蔵の没後、東映からレンタル移籍した松方弘樹が引き継ぎました。ところが、ヒットには至らず2作品で終わっています。片岡千恵蔵は、大映・東映と2つの会社で計11作品で多羅尾伴内を演じています。その後、日活から東映に移籍した小林旭が2代目伴内となりましたが、こちらも2作品でジ・エンド。『女囚さそり』シリーズ(東映)の主人公、松島ナミ役は、梶芽衣子から多岐川裕美が引き継いでいます。ところが、多岐川版は1作で終わり、次に夏樹陽子版が製作されます。しかし、これも1作のみでした。
加山雄三主演の『若大将』シリーズには、主人公が社会人になったシリーズ終盤に“2代目若大将”が登場します。演じたのは大矢茂という、加山雄三と縁があり、その後大成することのなかった若手俳優でした。さて、加山雄三とは、どんな関係だったでしょう?
- (1)元マネージャー
- (2)妻の弟
- (3)大学の後輩