矢沢永吉「成り上がり」ロック伝説、30年来の友人・女性歌手が明かす!の画像
矢沢永吉「成り上がり」ロック伝説、30年来の友人・女性歌手が明かす!の画像

 9月で日本一ロックな69歳となる矢沢永吉(68)。同月に行われるアニバーサリーツアーのチケットが売り上げ好調だが、そんな彼の素顔を、30年来の友人シンガー、マイラ・ケイ(66)が語ってくれた。「初めて会ったのは、1986年7月。私は当時、矢沢さんのツアーメンバーだったドラマーの村上ポンタ秀一さんとグループを結成していたので、彼を通じて矢沢さんに出会いました」

 その際、矢沢が彼女に語りかけた内容は、「私は父がフィリピン人で、母が日本人のハーフ。当時は日本語も片言しかしゃべれず、日本の芸能界独特のしきたりに苦労していました。そんな私を、矢沢さんは励ましてくれたんです。“広島から東京へ出て来るだけでも勇気と覚悟がいるのに、女性で、文化や言葉も違う遠い母国から日本で、まして芸能界で生きていくって、本当に大変だよね”って微笑んでくれたんです」

 自らの「成り上がり」の苦労を振り返り、優しく声をかけた矢沢を「今も忘れられない」と語るマイラ。2人の関係はその後も続き、「忘れられないのは96年の6月27日。新山下町にオープンしたライブハウス『横浜ブルースカフェ』のマネージャー兼シンガーを私が任されたばかりの頃でした。矢沢さんが突然、私のライブを観に来てくれたんです。その日にライブがあることすら知らせていなかったのに……」

 なんと、驚くことにあの大スターの矢沢が、自身でチケットを購入し、足を運んだというのだ。「ステージにいた私は、ライブの途中でスタッフに教えられて初めて、客席に矢沢さんがいることに気づきました。私が“歌詞間違えちゃったよ~(笑)”などと陽気にMCでしゃべっているとき、客席を見ると、矢沢さんが涙を流しているように見えたんです」

 当時、矢沢は巨額横領詐欺事件に巻き込まれ、約35億円もの負債を抱えていた。人生の辛い時期に、彼女の自由闊達なステージに触れ、感じるところがあったのか。「ステージからはける際に、客席のすぐ横を通ったタイミングで、矢沢さんと固く握手をしました」

 その後、99年に東京へ拠点を移したマイラ。再始動の決意をしたためた手紙を、矢沢に出したという。「すると私のライブ当日、会場の『原宿クロコダイル』には、矢沢さんからのお花が届きました。“手紙読みました。これからも頑張って。E.YAZAWA”というメッセージカードとともに……」

 奇しくも7月9日には、その原宿クロコダイルでライブを催したマイラ。「いつの日か『A DAY』を2人で歌いたいですね」

 矢沢への思いを「私からのラブレターよ」と言いながら語る彼女。返事はアイ・ラブ・ユー、OK?

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