ケネディ大統領と不倫、マッサージであんな姿も!?「マリリン・モンロー」雑学クイズの画像
ケネディ大統領と不倫、マッサージであんな姿も!?「マリリン・モンロー」雑学クイズの画像

 8月5日は、マリリン・モンローの命日でした。今回は、これにちなんでマリリン・モンローにまつわる問題をお届けまします。(文中敬称略 出題/小泉珍事郎)

【Q1】モンローが世に出たきっかけは何?

 マリリン・モンローは、1926年6月1日、ロサンゼルス生まれ。出生名は「ノーマ・ジーン・モーテンソン」といいます。16歳のときに高校を中退した彼女は、航空機製造会社の整備工だったジムという男性と結婚しています。ところが、ジムが徴兵されたため(当時は第二次大戦下)、自活のために航空機部品工場に就職することになります。では、そんな彼女は、どうやって映画界への切符をつかんだのでしょう?

  • (1)バーでアルバイト中にスカウトされる
  • (2)陸軍の機関誌に掲載された彼女の写真が、プロの写真家の目に留まる
  • (3)アマチュア劇団に参加して舞台に立つようになる

【Q2】日本で指圧を受けた際の服装は?

 モンローには3度の結婚歴があります(異説あり)。2度目の結婚相手は、MLBのスーパースターだったジョー・ディマジオでした(51年に引退)。1954年1月にサンフランシスコで結婚した2人は、2月に新婚旅行を兼ねて来日しています。約3週間の滞在期間中、ディマジオは日本のプロ野球チームに野球指導を行うなどしました。

 一方、モンローは到着早々に疲労と胃痙攣による体調不良を訴えています。そこで、帝国ホテルのスイートルームに招かれたのが、指圧の創始者である浪越徳治郎です。浪越の施術により、モンローは元気を取り戻したといいます。さて、浪越の証言によれば、このとき、モンローはどんな服装だったでしょう?

  • (1)一糸まとわぬ姿だった
  • (2)浴衣を着ていた
  • (3)野球のユニフォームを羽織っていた

【Q3】他殺論者が主張する不可解な点は?

 モンローの死は謎に包まれています。1962年8月5日、自宅の寝室で、倒れたまま息をしていない彼女をメイドが発見します。まだ36歳の若さでした。メディアは死因を“睡眠薬の大量服用による急性中毒”であり、自殺であろうと伝えています。自ら死を選んだ理由として、映画会社とのトラブルから、仕事を干されたことを悲観して……という見方が有力視されていました。

 しかし、その一方で他殺を疑う向きもあります。特に、モンローがジョン・F・ケネディ大統領、その実弟のロバート・ケネディ司法長官の両方と不倫関係にあったことが暴露されたことが、他殺説を後押ししました。なんらかの国家的機密を隠蔽するために、彼女は謀殺されたというわけです。

 他殺論者の中に、ロバート・F・スレイツァーという人物がいます。彼は、ディマジオの前にモンローと結婚をしていたと主張し、著書の中で彼女の死に関する、複数の不可解な点を挙げています。さて、次の中で、そこに含まれていたのはどれ?

  • (1)電話の通話記録が改竄されていた
  • (2)遺体の解剖を担当した医師が、直後に変死した
  • (3)「CIA」と走り書きしたメモが発見された
●A答え ■Q1=2【解説】写真家の勧めでモデルになり、そこから女優への道が開けます。Q2=1【解説】当初はガウン姿だったものの、施術の流れで浪越がそれを脱がせた。浪越はついつい、通常の何倍もの時間をかけてしまったとか。Q3=1【解説】スレイツァーは『マリリン・モンロー他殺の証明』(朝日新聞社)の中で、“電話の受話器を握って死んでいたが、前日からの通話記録が残っていない。これは記録を改竄できるだけの権力者が関わっているからだ”といった旨を記しています。なお、近年、映画会社に干されたという話は真実ではないことが証明されました。

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