ドキュメンタリー映画監督 松江哲明
アイドル映画評「アイドル映画って何だ?」vol.2

 ドキュメンタリー映画監督の松江哲明氏が、アイドル映画を評論し……、というか、アイドル映画ってそもそもどういった作品のことを指すのか? という再定義を目指す連載。第2回は、アイドル映画のクラシック中のクラシック、定番にして傑作『セーラー服と機関銃』です。松江監督にとって本作はどんな存在なのか。

 私にとってアイドル映画のイメージを決定づけたのは『セーラー服と機関銃』だ。演技をしようとする役者と現実の生々しさが拮抗する長回しの迫力、「タコ!」さらには「ゴミ!」と罵倒し続けたという相米慎二監督の容赦ない演出、故に演技だけでなく唯一無二の二度と撮れない時間が記録された薬師丸ひろ子の儚さ。

 アイドル映画とは、こんなに自由で大胆なことが出来るのか、と私は名画座のスクリーンで感動させられたが、きっとリアルタイムで体験した映画人たちも大きな影響を受けたに違いない。

 それは本作以後のこの国のアイドル映画史が証明している。アイドルを目的に集まる観客に対し、監督の作家性をぶつけてもいい、という免罪符は本作をきっかけに始まったと思う。もちろん中には失敗作も生まれたが、それは歴史にとって必然のこと。

 女子高生がヤクザの組長になるという赤川次郎の原作こそ滑稽無糖だが、全編映画的ショットの連続で、アートまたは実験映画の域。私は酒井敏也が女子高生を母親と重ね、甘えた直後に射殺されるという場面がロング、しかも縦を生かした構図に「映画でしか描けない演出」を知った。そんな「分かりにくい」と言われかねない相米演出が炸裂しても当時の若い観客を夢中にし、47億円もの興行成績を記録したのは薬師丸ひろ子の存在感に違いない。

 クレーンに吊るされコンクリート漬けにされても組員のために耐え、暴走族と共に新宿を走るカットはゲリラで撮られスタッフは警察から事情聴取、有名すぎる「カイ、カン」の台詞は機関銃によって割れた瓶の破片が頬を傷つけた事故映像だった。自由奔放な映画は観客に無視されるというのが映画史の必然のはずだが、本作には当てはまらなかった。薬師丸ひろ子をきっかけにして映画の狂気を目の当たりにし、劇場を出た当時の観客が羨ましい。
こんな体験、アイドルという入り口がなければ出来なかっただろう。

『セーラー服と機関銃』予告編

あらすじ

 普通の女子高生がひょんなことから弱小やくざの組長に! え、私がやくざの組長ですって! 父親を亡くしたばかりの女子高校生、星泉の通学している高校の校門に、黒背広の男たちが並んだ。「お迎えに参りました!」連れて行かれたのは、寂れたビルの一室、「目高組」というつぶれかけたヤクザの組の事務所だった。泉の父親が目高組の血縁だったのだが、事故死してしまったため、泉が目高組の組長を襲名するはめになってしまったのだ。セーラー服を着た17歳の女組長が奇想天外、意表をつくパニックの数々を巻き起こす。

監督/相米慎二
脚本/田中陽造
出演者/薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦、風祭ゆき、他

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