太田夢莉
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48グループの星たち

太田夢莉「自称“陰キャ”」がNMB48のフロントメンバーに成長した軌跡 3/3

 2019年11月30日、NMB48の太田夢莉が19歳最後の日に卒業した。NMB48の中心メンバーとしてソロコンサート、卒業コンサートまで行えるほどに成長した太田夢莉の足跡を今一度ここで振り返りたい。

■カウントダウン

 そこからの時間の進み方は驚くほど速かった。ソロ曲『Acting tough』は11月19日のソロコンサート(東京国際フォーラムC)で披露。まるで本人の心象をそのまま描いたような卒業ソングだった。それまで頑なに拒否していたという「わるきー」も黒い小悪魔風衣装をまとって歌唱。夢莉なりのファンサービスだった。

 11月25日神戸ワールド記念ホールで行われた卒業コンサートでは自身の成長過程を言葉に載せたかのような楽曲をたくさん選んで、NMB48の活動を振り返りつつ、自身の気持ちを歌詞の力を借りて等身大に歌った。山本彩が研究生のために作曲した『夢は逃げない』も披露。最後の太田夢莉の「頑張れ!」という激励のセリフはメンバーたちにも強く印象に残っただろう。

 11月30日活動最終日。NMB48劇場で行われた卒業公演の一番最後には『虹の作り方』を歌った。ファンにも好まれている青春ソングだ。全部を終えてステージを降りるときの言葉はこうだった。

「こうやって最後まで明るく、自分の夢だったりソロコンサートとか卒業コンサートとかたくさんの夢がかなって素敵な人に恵まれて心がポカポカなので悔いがないです。今でも夢を見てるみたいです。長い夢を見させてくださって感謝しています。ありがとうございます」

 48グループは「人間の成長物語」だとよく言われる。何もできなかった小さな子どもがいろんな試練を経て大人へと成長していくリアルなRPGのようなものだ。ファンはその主人公の成長を陰で支え、励まし、現状肯定をし、ときには少し離れて見守る。その絶妙な距離感がメンバーとファンの絆を育んでいく。

 太田夢莉の7年9カ月のNMB48人生は充実していただろうか。前半は自分の思い通りにいかなかったかもしれないが、多くの人と出会って助け合い、励ましあい、心を開いて本音を言葉に出せるようになったことを考えると充実していたのではないだろうか。

 そのひとつの答えとしてAKB48グループ新聞(12月号)のインタビュー記事がとても印象に残ったので最後に引用しておく。

――生まれ変わって中学生、高校生をやり直すとしたら何をしたいですか

「実は、やり直したいとあまり思わないんです。高校生の頃は何度も思ったんですが…。学生時代の思い出のすべてがNMBなので、学生生活をやり直してこのNMBの活動期間の記憶が消えてしまうくらいなら、やり直したくないです」

 そして翌日12月1日、20歳になった太田夢莉は次のステージ、女優への道へ歩き始めた。

(文・岡田隆志)

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