オリンピックイヤーとなる2020年――今年も東西の金杯で競馬の幕を開けました。東はミルコとトリオンフのコンビが、西では松山騎手が騎乗したサウンドキアラが、寒さを吹き飛ばすような熱い走りでそれぞれ戴冠。競馬場に詰めかけた、たくさんのファンから、「おめでとう!」というお祝いの言葉を全身に浴びていました。

 5度目の京都金杯制覇を狙った僕とカテドラルはブービーの17着。坂路での最終追い切りで見せたシャープで軽快な走りは影を潜め、スタートからゴールまで、競馬をしないままで……。レース後、記者の方に囲まれ、「ん〜、なんでだろう?」と思わず、首をひねり、そんな言葉を漏らしましたが、理由は今も分かりません。年に何度か、こんな不可解としか言いようのない負け方をすることがありますが、こんなときは直接、馬に聞けたらいいのになぁ、と思ってしまいます(苦笑)。

 とはいえ、それもこれもすべて含めて競馬です。彼の力はこんなものではないし、人馬ともに気持ちを切り替え、初の重賞制覇に向けて、また、一からやり直しです。

 34年連続のJRA重賞勝利の記録は次に持ち越しになりましたが、初日の1RをアウトウッズでV。3Rの3歳新馬戦では、オレンジペコが2着に5馬身差をつける圧勝。2日目も2勝をマークし、今年も気持ちよくスタートを切ることができました。

 いい流れには乗れ。ということで、今年初のG2競走、19日の日経新春杯では高橋義忠厩舎のレッドジェニアルと初のコンビを組むことになりました。京都新聞杯では、ダービー馬・ロジャーバローズを退け、神戸新聞杯では、4着とはいえ、サートゥルナーリア、ヴェロックス、ワールドプレミアと互角に渡り合い、菊花賞でも0秒6差の6着。加えて、ここまで挙げた2つの勝ち星は、どちらも京都とコース適性も申し分ありません。

 これまで僕が日経新春杯を勝ったのは3度。00年にマーベラスタイマーで勝ったのが最後。あれから20年が経過しました。今年、4度目の戴冠を目指して、最高の走りを見せられるようにベストを尽くしたいと思います。

 思えば、これまで、実に数多くの馬との出会いがありあり、哀しい別れがありました。1月2日には、生涯でもっとも悔しい思いをした96年日本ダービーでコンビを組んだダンスインザダークが、繋養先の社台スタリオンステーションで亡くなりました。絶対に勝ちたい。勝たなければいけないと覚悟を決めて臨んだ菊花賞での激走は、今も鮮明に覚えています。生涯成績は8戦5勝。2着2回、3着1回。そのすべてで手綱を取った僕にとっては、忘れることのできない名馬でした。その彼に捧げる勝利を目指します。

あわせて読む:
・島田紳助、YouTuberデビュー!?「島田」繋がりでボートレース的中大作戦