吉永小百合も食った! 宍戸錠「悪役上等」伝説の画像
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 1月21日、俳優の宍戸錠さんが86歳で亡くなった。名優として名を馳せた宍戸さんだが、共演した国民的女優を“食った”ことがあったという。「浅丘ルリ子や吉永小百合とも、長年にわたり映画で共演してきた宍戸さんですが、人気絶頂だった国民的女優を前にしても圧倒的な存在感で作品を牽引。“主役食い”と言われていました。当時、学生だった吉永には、“期末なら俺が教えてやるよ”って具合で、勉強面でもトップ女優を食ってましたね(笑)」(映画ライター)

 1961年、初主演映画『ろくでなし稼業』の公開時についた役名の“エースのジョー”が、そのまま宍戸さんの愛称になった。「それまでも小林旭らの敵役などで、作品に欠かせない存在でしたが、日活の指針で主演役者に転向。その際に宍戸さんが“ハリウッドの三流ギャングのような殺し屋ジョーでやりたい”と直訴したんです。日活映画のスターには“タフガイ”“マイトガイ”などニックネームがつくのが恒例だったこともあり、宣伝部スタッフがつけたんですが、宍戸さんも気に入っていたようです」(前同)

 そもそも宍戸さんは、54年に日活ニューフェイスの第1期生として入所し、55年に銀幕デビュー。この頃は二枚目スターとしての活躍を期待されていた。「日活入社当初は鳴かず飛ばずだったこともあり、56年、頬を膨らませる豊頬手術を受けて悪役に路線を変更。スタイリッシュなワル路線が当たり、人気に」(映画製作会社関係者)

 この豊頬手術からも、宍戸さんの破天荒な人柄がうかがえる。昭和文化研究家のミゾロギ・ダイスケ氏が解説する。「今でこそ芸能人や若い女性の美容整形も珍しくなくなりましたが、当時は親がくれた顔にメスを入れることが非難される時代ですからね。宍戸さんの大胆さ、豪快さがうかがえます。当時、日活は映画製作会社として後発であり、俳優の確保に新人に頼るしかなかった。敵役として際立った存在感を放つ宍戸さんに引き立てられ、石原裕次郎さんや小林旭さんらもスターとして成長したと言えるでしょう」

 また、宍戸さんの遺した功績は、映画界だけにとどまらない。「日活の映画は無国籍映画と呼ばれ、殺し屋やギターを持った渡り鳥の男が登場するなど、荒唐無稽な世界観でした。そこに出演し、単なる悪役ではなく“事情のある敵役”として説得力を持たせ、ハードボイルドな世界観を浸透させた功績は大きい。宍戸さんがいなかったら、今ある漫画や小説のハードボイルド作品も違ったものになっていたかもしれません」(前同)

 戦後の文化をも変えたエースのジョー。心より、ご冥福をお祈りします。