いよいよ今週末、すべてのホースマンが、一度は手にしたいと願う“日本最高峰のレース”日本ダービーがやってきます。新型コロナウイルスの影響により、無観客開催がJRAから発表されていますが、ドキドキ感やワクワク感は、いつもの年と同じ。運動会や遠足を前にした、小学生のような気持ちです。

 世界の競馬を見渡せば、アメリカは北部の一部のみが無観客で開催。イギリスは6月1日から無観客での再開を目指し、5月11日に再開したフランスは、レース中もジョッキーはマスク着用を義務づけられるなど、厳戒態勢の中でレースが行われています。それを考えると、無観客とはいえ、一度も休むことなく、レースを続けてきた日本競馬は、本当にすごい!  毎週末の競馬を楽しみにし、馬券を購入してくださるファンの皆さんにも、改めて、この場をお借りして、お礼を言いたいと思います。日本の競馬ファンは世界一です!

 長いジョッキー生活の中で、僕が日本ダービーを勝ったのは5度。1998年、初戴冠となったスペシャルウィークのときは、最後の直線でステッキを落とし、翌99年に騎手として史上初の連覇を成し遂げたときのパートナー、アドマイヤベガは皐月賞6着からの復活劇。02年のV3を飾ったときはタニノギムレットに騎乗。このときは、落馬事故で骨盤を骨折してから、わずか3か月で、歩くことはできても走ると痛みがあるという状態の中での勝利でした。05年、史上6頭目となる無敗で勝ち取ったディープインパクトとの記念撮影では、三冠を意識し、指を2本、天に向かって大きく掲げ、13年にキズナとのコンビで成し遂げたV5のときは、差し出されたマイクに向かって、「僕は帰ってきました!」というセリフを言いました。

 どのレースもパドックから本馬場入場、返し馬、ゲート入りを含め、すべてをコマ送りのように思い出すことができます。勝ったレースだけではなく、負けたレースも、全部です。それくらい、日本ダービーは僕にとって、一年に一度の大一番、なくてはならないレースなのです。

 今年、日本ダービーで6度目のVを狙う僕とタッグを組むのは、サトノフラッグ。父の名前を関した弥生賞ディープインパクト記念をともに制したコンビの復活です。ライバルは出走17頭すべて。持っている能力をすべて出し切り、そのうえで、競馬の神様に愛された馬だけが、その栄冠を手にできます。

 父・邦彦が、この日本ダービーを初めて勝ったとき、僕は3歳。母がテレビの前で正座をして見ていたという記憶があります。

 あと何度、日本ダービーに挑戦できるのか?  それは分かりませんが、ディープの仔で、というチャンスは、これが最後かもしれません。ダービージョッキーの称号――ただ、それだけを目指して騎乗します。

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