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第7回 麿赤兒 気になるあのひとのプライベート覗き見!『おとなの自由時間』

ボートレース戸田
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“をどる”ということは常にプリミティブな”遊び”だと思っている―『大駱駝艦』主宰 麿赤兒


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早速ですが、テーマが「おとなの自由時間」ということで、今ハマっていること、趣味だったり愛着のあるものだったり、についてお伺いしたいと思います。

趣味といわれると困るんですけれども、僕は常に”をどる”ということをしている、それが自由な時間の過ごし方、ということでしょうか。まぁとにかく、寝ても覚めても、寝返りを打っても、踊り三昧ですな。それが趣味と言えば趣味であり、仕事と言えば仕事かな(笑)。
四十数年、ハマっていますから。
子どもの頃からのすべての記憶、思い返すとどんなバカなことでも踊りの財産になっている。私は小学校5年まで、三重県津市の贄崎町というところでして、生贄の贄、なんていう字ですから、地名におどろおどろしい印象があったんでしょうかね。寂しい限りで、いまはもうこの町は存在しないんです。
その町で過ごした子供時代、夏の炎天下に鼻を垂らして真っ黒けになって走り回り、太陽に消炭のように焼かれて歩いたその時間、生きてるか死んでるかという意識もなく、そういうプリミティブな状態が踊りの状態に近いんじゃないか、と思いますね。
そのときはグジュグジュになって遊びまわっているだけで、当時は踊りの概念なんていう難しいことは考えずにいたけれどね。踊りなんていう情報もないから、今思えば、ということではあるけれども。
そういった意味では、ガキの頃っていうのは一番踊りの財産になっている。“家の不幸”“ワケあり”とかね、そういったこと全部含めて、踊りの財産として若い人と創りあげていく、という、それが今に続く楽しみになっているのではないかな。
ノスタルジーだけで置いておくのではなく、どう財産にしていくか。そのプリミティブな感覚を現代社会にどう通じさせるか、というのは難しいけれど、
そういった感覚を突き詰めていくと、ガキの頃だけじゃなくて、縄文時代や石器時代までどんどん遡っちゃう。そういうところの生き方みたいなものを考えるのは楽しいね。
もはや、自分の中の妄想なのかもしれないけれども。

主宰されている「大駱駝艦」での舞台には、そういった子供時代の原風景やご自身の中の妄想みたいなものが、いいかたちで息づいているような気がします。

そうですね。うちの踊りだから出来るということもあるでしょうしね。枠の外だからこそできる踊り。日本舞踊じゃそうはいかないだろうと思うんです。そういった枠のないところで、ある種の妄想力を発揮して、枠からはみ出していいんじゃないか。
ある種の“現代社会性”みたいなものはあんまり持ちたくねえなあ。でもあまりそんな風に枠の外で生きていると、下手したらお巡りさんにつかまるし、病院連れて行かれるかもしれないしね。ギリギリのところで描く、綱渡りのようなエロティックな感じを表現したい。ひりひりとしたエロティックさとヴィヴィッドな色彩の、そういうところにいつも自分をおいていたいですね。それと通底している、という意味ではたまに賭け事なんかもしますよ(笑)。そんなとこに通底させても仕方ないんだけれども、麻雀なんかも年に2.3回はやります。

賭け事のヒリヒリ感、ですか。舞台人としてのイメージが強いので、麻雀を嗜まれていらっしゃるのは意外でした(笑)。麿さんにとっては、踊りは、お仕事でありながらお仕事でない、といった感じなのでしょうか?

基本的に、これは仕事、これは遊び、という区分けはないんですね。子どもが遊んでいるような気持ちでやっていることに、一応カッコつけて「命がけだ!命がけの遊びだ!」なんて言ってみますけれど。
徹底的に「遊びをせんとや生まれけん」という開き直り方をしつつ、そのしっぺ返しがいつ来るかとは思いながらやってますが、もう年を重ねましたからそれでもいいんです(笑)。
自分としては、なんなら野垂れ死にでもいい、っていうくらいの想いがあるんですが、それを若い人に伝授するのは難しいですね。「野垂れ死にも一つの踊りだ! 物乞いだって芸がいる!」というような、想いは持っています。
インドのサドゥ(※)じゃないですけど、爪伸ばして20年とか、髪を伸ばして30年とか、。まあ向こうはそういった文化、枠組みがあるから成立するんですけど、日本でやってるとなると、まあ、キワキワな人ですからね。

(※)インドのサドゥ
サンスクリット語、もしくはパーリ語で、ヒンズー教におけるヨガの実践者や 放浪する修行者の総称。



若かったころの踊りに対する気持ちと今年齢を重ねてからの気持ちに変化はありますか?

若いころは筋肉とか体力に任せて“強迫”と”こけおどし”のような、そういったものに行きがちでしたね。肉体だ!という観念で踊っていた。けれど、年齢を重ねて体力がなくなってくると、引き算足し算をして、別の武装の仕方を考えないといけない。芸事ではよく言われることだけれども、”隠れていく”ということですね。世阿弥のいう「秘すれば花」ですか。それがひとつの発見ですね。
若いときは若い時の、”迫りくるエロス”といったようなものはありますが、そういった近視眼的な見方ではなく、引けばより拡がる。そういったことがわかってきたのかな。世界を壊していく! という勢いだけで迫っていくよりも、もうちょっと引いて世界を見る。地球を見る。宇宙を見る。それを抱えられるくらいの距離感をもっていると、それが逆に肉薄することになるんじゃないだろうか、とも思います。無駄な力を使わずに、最低限の力でいかに効力を発揮するか。そんなことは物理の世界じゃみんな当たり前にやってるんでしょうけどね。それを舞台の上で、どう見せるか。どこを叩けば一気にダーーーっと壊れていくのか。外すことも多いですが(笑)。
半分地下にもぐっているような部族、といった意識はありますよ。どこかで闘っている、という気持ちがあるんでしょうね。

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なるほど。麿さんは、公演ポスターなどでも、踊る、ということを“をどる”と表現されていらっしゃいますが、この表現にはどんな意味があるんでしょうか?

ひとりで解釈して出来たような、いわゆる”造語”みたいなのが好きなんですよ。
例えば、文字としては<お>より、<を>のほうが若い文字なんです。そういうのが昔からあるらしくて。まあ、後付けが多いんですけれど「~を、とる!」「世界をとる!」
そういう意味も入っています。吸収して、獲っていく、ということ。世の中の良いものも悪いものもどんどん取り込んで行くような器みたいなものです。
ものすごく反発するもの。うちの舞踏団では、人間なんてゴミだ、という教え方もあるから。
それをどうリサイクルするか、人間もゴミ、ベートーヴェンもゴミ、全てがゴミ。
そして最終的に”宝物”っていうのは自分自身で見つけるもんだ!っていう。


深いですね! 前回の舞台「ムシノホシ」を拝見したのですが、観る人の方に解釈をゆだねるような、いろいろな見ている方それぞれの観方を出来るような気がいたしました。

そうですね、主張がない、ともいいますが(笑)、「アナライズ ミー」、ってことですよ。委ねてしまう。供物の様な、生贄のようなもの。劇中で、自然界最後の砦みたいなものとしてある種大変な儀式がありましたでしょ。そういった世界が現代社会とどう拮抗していくか、という僕の主題みたいなものがあって、あとはそれをどう解釈してもらってもいいと思っているんですよ。
稽古はもちろん必要だけれど、ある種の神経が張っていると、むしろトランス状態でもやるべきことは自然にできちゃうものだと思います。まあ、そのための稽古ではあるんですが。
それにね、みなさんの想像力の方が広いんですよ、いまの世の中は(笑)。


そういえば、この前拝見して女の方が増えたような気がしたのですが。立ち上げ当初の大駱駝艦といまの舞踏団を比べていかがですか?

そうですね。いまは女性も多いですが、立ち上げ当初はまあ、男の泥臭いのばっかりだったね。時代的にも学生運動だとか、ある種アンチカルチャーの時代でしたから、どこか喰いっぱぐれたような連中が、抵抗精神のようなものをもって何かしたいっていう感じでしたね。単に舞踏がしたい、ということだけではない想いがあった。
僕の師匠土方巽は57歳で亡くなりましたから、僕自身、もうかなり師匠の年齢を越してしまいましたけれども、先日その「ムシノホシ」公演をやっていたときに腕に虫がとまったんです。そのとき、ああ、師匠が来たなあ、何を言おうとしているのかなあ、なんて思ってしまいました。すべてが絡め取られるような感覚の中で、踊りだけはそうはいかないぞ! という緊迫感を感じていたんです。みんな虫の世界に入り込んでますから、ある種マインドコントロール状態に入っていて、蚊に食われてるのに殺せなかったりね(笑)。そうやって舞台でつくりあげる世界観に入ることで、虫の視点でものを見られる、ちょっと違った目玉で見られる、そういう自分自身がオカシクなる、という面白さもありますね。
今回の舞台をして、基本的には彼ら(虫)のほうが我々人間よりずっと先輩だっていうこともわかりましたからね。何億年も前から虫はこの世にいるわけだから。人類なんてたかだか700万年くらいでしょ。“ハエが手をする足をする”っていうけど、あれも人と変わらない、”しぐさ”なんですよ。

「大駱駝艦」のみなさんは、いつも長野県・白馬村で合宿をされるそうですが、最近では海外の方も大変多いとか?

定員が30~35名でいっぱいなんですが、今回は三分の二が海外からの方でしたね。
オーストラリア、フランス、アメリカ、コロンビア、ロシア等々世界各国から参加しますし、日本人がどんどん少なくなっているくらいです(笑)。年齢でいえば、17.8歳の子もいれば62歳の方がいらっしゃったり。僕としては一緒に酒を飲める年齢だといいなあ、と思ってるんですが(笑)。8泊9日の合宿なんですが、身体づくりから始まって衣裳づくり、稽古・公演まですべて自分たちで行います。教えることもしなければならない大駱駝艦のメンバーは寝る暇もないくらいですね。大変過酷な合宿ですが、収穫も大きいだろうと思います。最後の公演日には合宿生の家族や恋人が各地から観に来るし、もちろん、地元のおじいちゃんおばあちゃんも観に来てくれて、野菜を持ってきてくれたりね。こういった活動を継続することで、「白塗りや金粉で踊ってるけど怪しいものではありません!」という証明にもなってますしね(笑)。こうして話すと、ほとんど遊んでるみたいでしょ。でも、飽きることはありませんね。
僕らの活動というのは、一見世の中の役に立ってるものじゃないように見えますからね。


でもそれが世界中で評価され、観た人が楽しんで、解釈して、結果なにかしらのパワーをもらえている、というのはすごいことだと思います!

そう感じてくれる方がいるのは嬉しいことですね。「されど“をどり”!」だということを示したいね。だいたい、世の中の二割くらいの人はみんなオカシイんだから。その一端を担ってやる、という気持ちでやってます。ある種の”遊び”を頭をひねってみんなでやっとる、ということですな。

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幼少期からのプリミティブな”遊び”の感覚が”をどる”ことに繋がっている、ということですね。ホントに素晴らしい”自由時間”といえる時間を生きていらっしゃる麿さん。今日は本当にありがとうございました。


~日刊大衆取材班より~
粋な着物姿がとてもお似合いだった麿さん、映画や『大駱駝艦』の舞台以外への出演も数多く、”怪優”なんていう表現をされることもありますが、物腰の柔らかい、それでいてとても情熱的なものをマグマのように隠し持っていられるような魅力的な方でした。
「人間はゴミだ!、と教えるメンバーもいる」、というくだりで出てきた「大駱駝艦」の舞踏家・村松卓矢さんは、何を隠そう日刊大衆編集長の小学校時代からの同級生。白馬村の合宿ではリーダーを務めたそうで、舞台でも印象的な役柄で出演なさっています。ご興味のある方はぜひ、舞台へ足を運んでみてくださいね!

麿 赤兒(まろ・あかじ)PROFILE
1943年奈良県出身。早稲田大学文学部中退。劇団「ぶどうの会」を経て舞踏家、土方巽氏に師事、その後『状況劇場』の設立に参加。60年代から70年代の演劇界に変革の嵐を起こす。1972年、舞踏集団『大駱駝艦』を旗揚げ。舞踏に大仕掛けを用いたスペクタクル性の強い手法を導入し、海外公演でも高い評価を受けている。また、映画、舞台などでの活躍も目覚ましく、出演作品も多数。長男の大森立嗣は映画監督として、次男の大森南朋は俳優として、それぞれ活躍している。
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~出演情報~
9月13日(土)~21日(日)
「肉のうた」@大駱駝艦・壺中天スタジオ
http://www.dairakudakan.com

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