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広島土砂災害で人命救助!陸上自衛隊「奮闘20日」感動秘話

[週刊大衆09月22日号]

無慈悲な集中豪雨により甚大な被害を受けた集落。発災後、現地で活動する陸上自衛隊「第13旅団」の精鋭に密着!!

8月20日、広島県広島市安佐南区において、豪雨による大規模な土砂災害が発生した。

実は、土砂崩れが発生する午前3時頃までに、多くの通報が寄せられていた。

「大雨が車のボンネットをたたく金属音が気になり、眠れなかった。様子を見に行こうと思ったら土砂が流れてきた」(30代男性住民)

広島市は、前日に大雨洪水警報等は出したものの、避難勧告は行っておらず、それが後の惨事を招いたと指摘されている。

午前6時30分。広島県知事は広島の海田市(かいたいち)駐屯地に司令部を置く陸上自衛隊第13旅団長に対して、人命救助に係る災害派遣要請を出した。

もちろん、自衛隊はこの派遣要請が来るまで手をこまねいていたわけではない。

「情報収集を専門に行う第2部の隊員たちが集まり、災害派遣がかかった場合に備えて、被害状況の把握を行いました。第13旅団では、常に大雨警報が出た時点で準備を進めています」(第13旅団幕僚)

派遣された第13旅団は、東日本大震災のときに福島県に派遣された部隊。原発事故により隊員の被曝(ひばく)も懸念される中、今回の土砂災害で最初に派遣された第46普通科連隊が、原発から20キロ圏外ギリギリの相馬市内で行方不明者の捜索を行っている。

今回、まず30名の人員が、現地の偵察任務で駐屯地を出発したのが午前7時40分。目の前に現れたのは想像以上の惨状だったという。

9時30分。ヘリTV(テレビ中継システム)を装備したUH-1が離陸。その映像は、第13旅団司令部だけでなく、防衛省にも中継された。

10時15分、60名の人員、車両15両が出発。続けて10時30分、人員60名、車両10両が出発。

その後も陸続と駐屯地を車両は出発していった。

「先に現地に入った部隊から、人海戦術では埒(らち)が明かないことが報告されたため、重機を多数保有する第13施設隊もすぐさま派遣されました」(防衛省関係者)

また12時17分、海上自衛隊呉基地からも人員が派遣されることが決まり、東日本大震災のときのように、"オール自衛隊"でこの災害に立ち向かうことが早々に決断された。

時間とともに、増援部隊は次々と送り込まれて、一時は総勢800名という陣容となった。その活動は、発災から2週間以上を経ても続いている。

現場は、山陽自動車道の広島ICから下りて、国道54号線を上ってすぐのエリア。国交省や警察、消防、そして自衛隊が指揮所として使用していたのが同エリアにあったスロット店の駐車場だった。

その店は現在、営業をしており、店内は多くの客でにぎわっている。

しかし、国道54号線と並行して走るJR可部(かべ)線の線路を越えたとたん、景色は一変する。アスファルトは土砂で汚れ、山から流されてきた大きな石がそのまま転がり、民家の1階部分には、車が突っ込むように挟まっている。

「私は八木地区に部隊として初めて入り、行方不明者の捜索に当たりました。線路を一歩越えるだけで、腰まで土砂につかるような悲惨な状況でした……」(第46普通科連隊第3中隊長・清水洋平3佐)

清水3佐の部隊は、県営住宅の捜索に向かうように指示されたという。

「土砂でなかなか進めず迂回路を探していたら、住民から助けてと声をかけられました。建物の2階等で孤立してしまった人を発見したんです。付近を調べてみると、15名の住民の方が、避難できない状況となっていました」(前同)

そこで救助活動を実施。

「おばあさんや、7歳のお子さんもいらっしゃいました。1階や道は土砂が堆積(たいせき)して危険だったので、隊員がおぶって救助しました」(梅本浩史3曹)

行方不明者の捜索が続く24日10時30分。広島県知事より、今度は入浴支援の要請があった。そこで第13後方支援隊が派遣され、19時から、三入(みいり)小学校で最初の入浴支援を行った。


部隊の"お守り"になった手紙

入浴支援部隊を指揮したのは、第13後方支援隊補給中隊長・田中孝幸1尉だった。

「私は新潟中越地震、そして東日本大震災にも派遣されており、今回で3回目の入浴支援となります。発災から避難所生活を送られている人には、これが初めての入浴という方も多く、"久しぶりにゆっくり眠れそうです" "気持ちよかった"などとおっしゃっていただきました」

三入小学校で入浴支援を行っていた隊員が、小学校低学年の女児から、封書を受け取ったという。ピンク色の封筒には流行のアニメ『妖怪ウォッチ』のキャラクターのシールで封がしてあった。中を開けてみると2枚の便箋が入っていた。

〈じえいたいのみなさんへおふろを作っていただきましてありがとうございました。はやく人達をたすけてください。まだ土でうまっているかもしれません。はやく人達をみつけてください〉(原文ママ)

2枚目をめくると、自身の姿だろうか、子どもが敬礼をしているイラストが描かれていた。この女児の手紙は自衛官の胸を打ち、部隊のお守りになったという。

26日からは梅林小学校での入浴支援も開始された。

1日平均80名が入浴するという。自衛隊のお風呂は至ってシンプルな構造だ。まず鉄パイプで形を作り、そこにビニールシートを張る。

これが浴槽となる。ここに張る水の量は4トン。水温は38度から40度くらいと、若干ぬるめに設定する。

ボイラーを担当する大場亮典士長は、「適温になるまで1時間半ぐらいかかります。温度計を見たり、入浴している人に湯加減はどうですか、と声をかけて、温め直していきます」浴槽の脇にはシャワー付きの洗い場も用意され、男湯と女湯に分かれている。

東日本震災時にも実施された自衛隊による入浴支援。最愛の家族を失い、絶望の淵にあった東北の被災者は、この"自衛隊風呂"で「生き返った気がした」と言ったという。

9月3日時点で、広島土砂災害の行方不明者の数は2名。用水路の水や土砂を抜くなどして、捜索範囲を広げている。自衛官と警察官が協力し合い、泥まみれになりながら、土砂をかき出していた。隊員たちのヘルメットには「百万一心」と書かれたステッカーが貼られている。

これは中国地方を統一した戦国大名・毛利元就が吉田郡山城の築城の際に、人柱に代えて埋めた大石に刻んだ言葉だ。1日1日を一人一人が力を合わせて、心を一つに協同一致して事を行うという意味で、第13旅団のスローガンとなっている。

隊員たちは安佐北区スポーツセンターの体育館で寝泊まりをしている。その体育館には自衛隊を応援する寄せ書きが書かれていた。

「私の友達をすくってくれてありがとう」という子どもの文字から、「S(昭和)47県北で、95年神戸で私は2度も助けていただきました」というものも。

陸自が開設しているツイッターには、被災者以外からも自衛隊への激励コメントが殺到している。特筆すべきは、東日本大震災、阪神・淡路大震災、新潟中越地震の被災者からのエールが目立つことだ。

前出の田中1尉が、こうつぶやいた。

「本当は、我々が活躍しなければならない状況は、少ないほうがいいんです」

事に臨んでは危険を顧みずそう宣誓した23万自衛官は、このたびの広島土砂災害でも、その言葉どおりに奮闘していた。

(現地取材/菊池雅之)

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