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大相撲界の超新星・石浦「体が小さいからこそ、攻めていきます!」直撃インタビュー

[週刊大衆2017年01月23日号]

大相撲界の超新星・石浦「体が小さいからこそ、攻めていきます!」直撃インタビュー

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取材・文 武田葉月(ノンフィクションライター)

 大相撲初場所が1月8日、両国国技館で幕を開けた。入場チケットは、15日間ほぼ売り切れ状態。“若貴フィーバー”以来の相撲ブームに沸く角界に、彗星のごとく現れたのが、昨年九州場所で敢闘賞を受賞した幕内・石浦である。

 173センチ、114キロの体は、幕内最軽量。平均体重160キロを誇る幕内力士と比較すると、あまりにも小柄ということもあり、新入幕を果たした九州場所当初は、苦戦が予想された。ところが、スピーディな動きと多彩な技を駆使し、2日目から怒濤の10連勝。優勝争いに絡む活躍を見せ、一躍、ニュースターの誕生となった。

 横綱・白鵬の内弟子で、土俵入りの露払いも務める石浦は、自身の活躍をどう受け止めているのか? 最近は“平成の牛若丸”とも称される角界期待の超新星に、初場所を前に、相撲に賭ける決意を聞いた。

――改めて、九州場所での敢闘賞、おめでとうございます。10連勝で横綱・鶴竜関とともに優勝戦線のトップに立ったときは、どんな感覚でしたか?

石浦 幕内の土俵の雰囲気は独特ですし、横綱の土俵入りの露払いという役割もあって、慣れないことの連続だったんです。だから、勝ち続けていること自体が「ありえない」というか、奇跡が起きている感じでした。メディアの方には「新入幕で優勝したら、102年ぶりの珍事」などと取り上げてもらいましたが、ボクとしては「ない、ない」って思ってましたよ(笑)。

――千秋楽の栃ノ心戦のときは、「石浦コール」も起きて、館内のボルテージも最高潮でしたね。

石浦 聞こえてましたよ(笑)。でも、負けてしまって、コールに応えられなかったのが残念でした。「石浦」という四股名は、ボクの本名なんですが、珍しい苗字なので四股名として使っているんです。全国の石浦姓の人が集まる「全国石浦会」というグループでも、応援していただいています。

 大関・琴光喜、照ノ富士などを生んだ相撲の強豪校、鳥取城北高校相撲部監督(現・校長)を父に持つ石浦が、初めて相撲と接したのは5歳の頃だった。小学生になると、市内の相撲教室で本格的に相撲を始め、鳥取市立西中時代は全国都道府県大会個人3位の成績を収める。鳥取城北高校では、インターハイで団体2位、世界ジュニア相撲選手権(エストニア・ラグヴェレ)で軽量級優勝などのタイトルを獲得している。

 とはいえ、当時の体重は80キロ前後と小兵の部類。むしろ脚光を浴びていたのは、「相撲留学」で東京から鳥取にやって来て、中学、高校の同級生でもある山口雅弘(現十両・山口=元幕内・大喜鵬)のほうだった。高校1年で高校横綱に輝いた山口とともに、団体戦の決勝に臨んだが、石浦の敗戦によって、鳥取城北高が苦杯をなめるという出来事もあった。

――高校3年生のとき、エストニアで行われた世界ジュニア選手権に出場したことで、相撲観が変わったそうですね。

石浦 ハイ。後に大関になった把瑠都関が、幕内の土俵で脚光を浴び始めた頃でした。ボクは体が小さいので、軽量級での出場だったんですが、世界選手権に出てくる選手たちの身体能力の高さに驚きましたね。相撲の基本に関しては、日本の選手はきっちりと身につけているんですが、ヨーロッパ勢のパワーに、底知れぬ恐ろしさを感じました。「相撲が世界中に広がっている」ということを実感した大会でもありました。

――世界選手権では、必ずしも日本人選手が強いわけではないんですね。

石浦 大相撲の世界で、モンゴル人力士やヨーロッパ出身力士が強いように、アマチュアの世界でも同じような勢力図が広がっていました。強くなるためには、体を大きくしなければならない。その思いが強くなりました。ですから、大学(日大)に入ると、とにかく食事の量を増やして、これまで以上にウエイトトレーニングに力を入れました。3年生で、ようやく100キロを超えたんですが、腸の病気になってしまって……。

 もともと食が細いタイプなのに、「大きくなりたい」一心で食べ過ぎたのが原因でした。結果、逆に20キロ以上も体重が減ってしまい、試合でも使ってもらえなくなり、目標を失った感じになってしまったんですね。4年生になって、相撲部のメンバーたちが次々に進路を決めていく中、ボクだけは迷っていました。そこで考えたのが、総合格闘技への転身だったんです。

――相撲とは、距離を置きたいということだったんでしょうか?

石浦 それもあったと思います。子どもの頃から相撲が身近にあって、小学校、中学校、高校、大学と当然のように相撲を続けてきました。でもボクは、ビッグタイトルを獲った山口のようなエリートではありません。横綱・白鵬関のスカウトを受けて大相撲の世界に進む彼の姿を横目で見ながら、「別の道を歩いてみたい」と思ったんです。

――そこで、大学卒業後はオーストラリアに留学という道を選んだんですね。

石浦 親父が監督を務める鳥取城北高相撲部では、以前からモンゴルからの留学生を受け入れていました。照ノ富士関や逸ノ城関、学生横綱のタイトルを獲って、今年大相撲に入門するトゥルボルト(日大4年)などがそうなんですが、モンゴル人を身近に見ていたこと、世界ジュニア選手権、世界選手権(タイ・チェンマイ)に出て、海外の雰囲気を経験していたので、日本を離れてみたいな……と。

 オーストラリアでは語学学校に通いながら、格闘技の道場で体を鍛えて、年齢やジャンルを超えた人たちと触れ合うことができました。その間、日本にいる両親とは連絡を取らなかったんですが、大相撲はずっとインターネットでチェックしていました。ネットで相撲を見ると、力士たちが輝いて見えるんですね。(平成24年の)名古屋場所で、山口が7戦全勝で新十両昇進を決めたときは、「なんでボクはここにいないんだろう」という複雑な思いに駆られて……。もう一度、相撲をやらなかったら後悔する。一度きりの人生だから、大相撲の世界に飛び込もう。そう決意したんです。

 決意してからは、早かったですね。入門するなら、以前から声をかけていただいていた、横綱・白鵬関が所属する宮城野部屋しかないと思っていました。親父に「宮城野部屋に入るから」とだけ伝えたら、電話の向こうで、ものすごく驚いているのが分かりました。もちろん、最初は反対されましたけどね(笑)。

 平成24年8月、4か月のオーストラリア留学から帰国した石浦は、父の反対を押し切って、力士として通用する体作りに励むこととなる。新弟子検査を受験できるのは、23歳未満という規定があるため、年齢制限ギリギリの12月までかけて体重を再び100キロ近くまで増加させ、宮城野部屋に入門したのは12月24日のことだった。

 25年初場所に初土俵を踏み、3月の春場所で序ノ口からスタートした石浦は、格の違いを見せつけて優勝。翌場所、序二段でも全勝優勝を果たして、9月の秋場所で幕下に昇進。順調な出世となった。一方、同じ部屋の山口は十両力士として成績を残し、同年夏場所で新入幕を果たすなど、石浦の数歩先を歩んでいた。

――27年は石浦関にとって、飛躍の年になりましたね。初場所、6勝を挙げて、翌春場所の新十両昇進を決めます。

石浦 普通なら十両昇進は難しいところですが、ラッキーでした。この世界に入った以上、関取になるのは第一目標ですから、本当にうれしかったですし、声をかけていただいた横綱、力士になることを反対された親父にも、まずは恩返しができたと思いました。

――四股名の候補はいろいろあったと思いますが、本名の石浦で相撲を取り続けることになりましたね。

石浦 先ほどもちょっと触れたように、石浦という姓はわりと珍しい苗字なんです。親父は石川県の出身ですが、昔、石浦家は加賀の一向一揆で織田軍に敗れて各地に散らばったそうで、今は石川、富山、京都などに「石浦さん」がいるそうです。金沢には石浦神社もあるんですよ。そういう歴史を踏んでいるので、全国の石浦さんは結束が固いんです。ボクが十両に上がって、「石浦」という四股名がテレビなどで流れるようになったことで、石浦さんたちが集まって、「全国石浦会」が結成されたというわけなんです。

――四股名には、全国の石浦さんの思いが込められているということですね。

石浦 ハイ(笑)。十両に上がったとき、周囲の人たちは、「すぐに(十両から)落ちるだろう」って思っていたみたいです(笑)。でも、宮城野部屋には、横綱・白鵬関という角界の第一人者がいます。37回の優勝を果たし、前人未到の7連覇も達成した瞬間を、近くでずっと見させていただいたわけですが、横綱の稽古、行動のすべてが、ボクにとって勉強になるんですね。

 以前、横綱が「いつか山口と石浦と3人で、横綱土俵入りをしたい」と言ってくれたと聞きましたが、つまり、それは「早く十両を卒業して、幕内に上がってこい」という横綱からのメッセージだったんです。

――念願が叶って、九州場所では横綱土俵入りの露払いを務め、2日目からは快進撃が始まります。

石浦 新入幕が決まったときに、考えていたことがあったんです。それは、初めての懸賞金を、横綱にプレゼントするということ。臥牙丸関に勝った2日目、宿舎に戻った横綱に懸賞金を渡したら、横綱がすごく喜んでくれて……。そうしたこともあって、3日目からは、自分の相撲が取れるようになりました。

――好調の原因は、どこにあったんでしょうか?

石浦 なぜ、あれほど勝てたのかは自分でも分からないんですが、立ち合いに集中できていたのがよかったのかな? と。それと、お墓参りです。ボクはわりと古風なタイプで、子どもの頃から母に連れられて、母方の先祖と、鳥取出身の初代・両国関のお墓にお参りに行っているんです。九州場所が終わってから鳥取に帰ったときも、両方のお墓に足を運んで、「今、おかげさまで、ケガなく相撲を取れています。ありがとうございます」と、報告してきたところなんですよ。

――初場所の意気込みはいかがですか。

石浦 体が小さい分、あくまで自分から攻めていく相撲を取っていきたいと思っています。恐れ多いとは思うんですが、昭和50年代に「ちびっ子ギャング」の愛称で大活躍された鷲羽山関(前・出羽海親方)のような相撲が目標で、昔のビデオを見たり、鷲羽山関と対戦したことのある親方に話を聞いたりして、取り口を研究しているところなんですよ。そして、見ている人たちが、「石浦だったら、何かやらかしてくれる」と期待感を持ってくれるような力士でありたいと思っています。

 礼儀正しく、どんな質問にもハキハキと答えてくれた石浦関。横綱・白鵬を見習った、ファンへの優しい対応は“力士の鑑”だろう。二代目「ちびっ子ギャング」の大暴れが楽しみだ。

石浦 将勝(いしうらまさかつ) 本名=石浦将勝。
平成2年1月10日、鳥取県鳥取市出身。鳥取城北高相撲部の石浦外喜義監督(現在は同校校長)の長男として生まれる。小2から相撲を始め、中3で全国都道府県大会個人3位。高1と高3で全日本ジュニア体重別80キロ未満級優勝。日大1年で東日本学生体重別無差別級2位。卒業後、オーストラリアへの語学留学を経て宮城野部屋に入門し、平成25年1月場所、初土俵。平成28年の九州場所では、新入幕にして10連勝し、敢闘賞を受賞。得意は右四つ、下手投げ。173センチ、114キロと幕内最軽量。

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