指名ゼロの女子アナ新人時代

――1980年にフジテレビに女子アナウンサーとして入社されましたね。

山村 入社1年目に報道局解説室から編成局アナウンサー部に異動したんですが、その当時の女子アナは仕事がなかったんです。2人に1つのデスクしか与えてもらえなかったので、キチキチに座りながら、しかも、毎日お茶をひいてる感じで……。

――"指名ゼロ"ということですか。

山村 女子アナとしての仕事があるのは、うんと先輩の田丸美寿々さんぐらいで、少し先輩の益田由美さんも仕事がなかったくらい。

――今の時代では、考えられないですね。

山村 2年目になったときに仕事はあったんですけど、来た仕事は、『3時のあなた』や『おはよう!ナイスデイ』の芸能レポート。でも、現場では、取材する相手に突っ込めないんですよ。

――うまく質問ができなかったと?

山村 今でも覚えていますけど、風吹ジュンさんと川添象郎さんの結婚式に行ったとき、隣で梨本(勝)さんがいろいろと質問されるんです。それで、私も質問しなきゃと思っているうちに、他のレポーターに聞かれちゃって。戻ったら上司に"ちゃんとやってないじゃないか!"って怒られちゃって。

――あらら。

山村 そのうち、私は逸見政孝さんと田丸さんがキャスターをされていた『ニュースレポート6:30』というローカル番組で、高校野球などのニュースレポートの仕事ばかりになって。しかも、私の次の年は新人が入らなかったから、相変わらず一番下で。

――一番下だと、どんな感じだったんですか?

山村 皆さんの湯飲み茶碗がすごくたまって、それを洗わなきゃいけないんです。それから、皆さんの出張伝票を書いたり、物品の手配をやったり。全部の事務処理を私一人でやっていたんです。

――それはアナウンサーじゃなくて事務職ですね。

山村 茶碗の洗い過ぎで、手の皮膚を痛めてしまい、病院に行ったこともありましたね。

――過酷だったんですね。

山村 あとはナレーションぐらいしかなかったから、『オレたちひょうきん族』に呼ばれたときは"これでお茶碗洗いから解放される!"って(笑)。

――良かったですね。

山村 でも、そう思えたのは最初のうちだけで、結局は『ひょうきん族』の収録が終わった後も、番組で着た派手な衣装のまま、お茶碗を洗うことは変わらなかったんですけどね(苦笑)。

――そんな"初代ひょうきんアナ"時代を経て、84年にご結婚。翌年にフジテレビを退社されましたが、未練はなかったんですか?

山村 なかったですね。ある年のお正月、フジテレビのラジオ・テレビ欄を見たら、マラソンも特番も、すべて私が担当していたことがあって。それで、"もうやり尽くした!"って思ったんですね。と同時に"やっぱり女優に!"って思って。

――改めて、山村さんにとっての女優業の魅力とは?

山村 う~ん、何でしょうね。

――以前、別のインタビューで"何かが欠けた人間をやるのが女優"と答えていましたが。

山村 そんなこと、言いましたか(笑)。だって、完璧な人間って演じても面白くないじゃないですか。ただ、最近思うのは、人間って他人が喜んでもらえるために生きているし、それで幸せになれるんじゃないかなって。自分が演じたものを人が見て幸せになったり、感動したりするのを見るのが幸せにつながっていくと思うんです。

――2003年から08年までは、ご主人の仕事の関係で、海外に滞在されましたが、日本に残ろうとは思わなかったんですか。

山村 ちょうど舞台の稽古の最中で、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)したことは確かにありましたね。でも、そのとき、"夫婦って運命共同体なんだ"って初めて思えたんです。

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